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ホーム » くらし記事一覧 » 農家のくらし知恵袋 » 【家族4人で幸せ自給生活】第23話:暮らしから学ぶ

北海道・三栗祐己

北海道の山の中で、住まいや電気(太陽光発電)、水道などを自分たちでつくりながら、働きすぎず、穏やかに、豊かに暮らしている三栗さん一家のお話です。

2024年7月、この連載をベースにした単行本『北の国から 家族4人で幸せ自給生活』が発売されました。

みんなの手も借りつつ、家族で建てたタイの我が家。「Yuki’s Family hut」と名付けた
みんなの力を借りつつ、家族で力を合わせて建てたタイの我が家。「Yuki’s Family hut」と名付けた

「自給自足だと、学校とかはどうするの?」

そんな質問をいただくこともありますが、学校は歩いて通える距離にあります。でも、山暮らしをしていると、教育や子育てについても、色々なことを考えます。今回は、そんな「教育と子育ての自給」についてのお話です。

生きる力と生き抜く力

教育と言えば、まずは学校が思い浮かびますよね。学校教育のカリキュラムの基準として、文部科学省では「学習指導要領」というものが定められています。学習指導要領では、「生きる力」がキーワードになっています。

生きる力とは何か。あらためて考えると難しい気がしますが、ぼくは今の山暮らしをするまでは、

「生きる力=お金を稼ぐ力」

のような気がしていました。生きていくにはお金が必要で、やっぱりその額は、たくさんあった方がいい。お金をたくさん得るためには、いい会社に入らなきゃいけない。いい会社に入るためには、いい大学に行かなければいけない。いい大学に行くためには、いい高校に行かなければ。いい高校に行くためには、いい中学……いい小学校……いい幼稚園……?ぼくは北海道に住んでいたので、中学までは公立に通っていましたが、首都圏などに住んでいると、幼稚園から「お受験」があると聞きます。そうしていい会社に入ったとしても、今度は朝から晩まで、働かなければいけない。いつしか、家族を守る、養うための仕事が、家族を犠牲にして仕事をしている自分に気がつき、これはどうしたらいいものかと思い悩みました。

おかしい。

一生懸命勉強して、いい高校、いい大学、いい会社に入ったはずなのに……。けっこうちゃんと「勉強」してきたはずなのに……。

「何かが根本的に違う気がする……」

そんな紆余曲折があり、ぼくは勤めていた仕事を辞めて、タイのパーマカルチャー・ファームに家族で長期滞在することになりました。(第1話参照)この、自給自足の暮らしをするファームに来たとき、日本とは根本的に生き方が違うと感じました。タイには子どもたちも一緒に行っていたこともあり、ぼくたち家族は毎週金曜日、全児童15人程度の、村の小さな学校を訪問させてもらっていました。

息子も数ヶ月通った村の学校。思春期の子でも、人懐っこい笑顔を向けてくれるのが印象的
息子も数ヶ月通った村の学校。思春期の子でも、人懐っこい笑顔を向けてくれる
息子がお世話になっていたので、お礼に日本語の授業もしました。笑い声が絶えない教室でした
息子がお世話になっていたので、お礼に日本語の授業もしました。笑い声が絶えない教室でした

そこでは、簡単なかけ算ができない中学生がいるなど、お世辞にも学力が高いとは言えない状況でした。「日本の学力はトップ水準」と聞くこともありますが、確かに日本の学力は高いのかも知れない、そんなことも思いました。でも彼らは、ぼくたち日本人にはない、こんな能力を持っていました。

  • 14歳にして小屋を自分で建てられる
  • 畑づくりの授業では、指示がないのに、全員で協力しながら次々と畑を耕していく
  • その授業で、7歳の少女が、自ら近所の養豚場に行って、畑の栄養になる豚のフンをバケツいっぱいにもらってくる
  • タイ語の通じないうちの子どもたちにも、積極的に話しかけて、自分たちの遊びに誘う高いコミュニケーション能力
  • 沼に入ってカニを捕ってきて、それを自分たちで火起こしして、調理して食べる

僕は彼らの「生き抜く力」の高さに、感動しました。

沼は子供達の大好きな遊び場の一つ
沼は子供達の大好きな遊び場。釘を曲げて釣り針を作る
(写真6、ご飯だけ持って遊びに来た彼らは、沼で釣った魚を自ら捌き、そばの竹藪から竹を刈り取り、その中で魚を煮てスープを作ってご馳走してくれた。) (写真7、「この空き地を畑にしますよ。畑を作る班と、豚の分を集めてくる班に分かれて仕事してください。」 日本の全員揃って教材を与えてもらえるやり方とは違い、先生はたった2本のクワのみ持参。 作業の時間になると、子ども達は使えそうな道具を拾ってきたり、近所に借りにいき、自ら動き始める) (写真8、森に行く授業があった) (写真9、昼近くになり、お腹が空く。すると子どもたちは、あたりを見まわし、食べ物を見つけ木登りを始める。自分たちで見つけた食料たちは、わずかずつでもみんなで分け合う姿があった。)
沼で釣った魚を自ら捌き、スープを作ってご馳走してくれた中学生
(写真5、自分のナタを持参で竹とバナナの葉を組み合わせ、基地を作っていく。他の子供達は網を持って沼へ。) (写真6、ご飯だけ持って遊びに来た彼らは、沼で釣った魚を自ら捌き、そばの竹藪から竹を刈り取り、その中で魚を煮てスープを作ってご馳走してくれた。) (写真7、「この空き地を畑にしますよ。畑を作る班と、豚の分を集めてくる班に分かれて仕事してください。」 日本の全員揃って教材を与えてもらえるやり方とは違い、先生はたった2本のクワのみ持参。 作業の時間になると、子ども達は使えそうな道具を拾ってきたり、近所に借りにいき、自ら動き始める) (写真8、森に行く授業があった) (写真9、昼近くになり、お腹が空く。すると子どもたちは、あたりを見まわし、食べ物を見つけ木登りを始める。自分たちで見つけた食料たちは、わずかずつでもみんなで分け合う姿があった。)
竹とバナナの葉を組み合わせ、基地を作っていく。他の子達は網を持って沼へ
この空き地を畑にします
「この空き地を畑にします。畑を作る班と、豚の糞を集めてくる班に分かれてください。」先生が持参したのは2本のクワのみ。時間になると、子ども達は使えそうな道具を拾ってきたり、近所に借りにいき、自ら動き始める
森に行く授業があった
森に行く授業があった
昼近くになり、お腹が空く。すると子どもたちは、あたりを見まわし、食べ物を見つけ木登りを始める。自分たちで見つけた食料は、わずかずつでもみんなで分け合う
お腹が空いた子どもたちは、食べ物を見つけ木登りを始める。見つけた食料は、わずかずつでもみんなで分け合う

タイの村での彼らのライフスタイルは、ただ暮らしているだけ。ですが、家や食べ物など、暮らしに必要なモノは自ら作り出していました。タイの子どもたちは、そんな日々の暮らしから、この「生き抜く力」を身につけていたのでしょう。日本が、必要なモノを「買う暮らし」だとすれば、そのタイの村では、必要なモノを「作る暮らし」をしていたのです。

(写真10、茅葺き屋根も村のお母さんたちが一つずつ編んでくれたもの。
我が家の茅葺き屋根も村のお母さんたちが一つずつ編んでくれたもの

遊暮働学(ゆうぼどうがく)のライフスタイル

彼らは日々、ただ暮らしていました。でも同時に、暮らし自体を、遊ぶように楽しんでもいました。同時に、暮らしの中で働いてもいましたし、さらには同時に「生き抜く力」を学んでもいました。遊び、働き、学びが、暮らしと完全に一体化していたのです。

例えば、彼らは、木や竹や草から、家を自分たちで建ててしまいます。暮らしに必要な「家づくり」という働き(仕事)。それ自体が、みんなでやる遊びのように楽しくもあり、同時に家の作り方を学ぶことにもつながっていました。日常の暮らし、あらゆることがこんな調子ですから、彼らは究極的にいえば、暮らしているだけで暮らしが回っているのです。ぼくはそんな彼らの暮らしに憧れ、自分もそんな風に生きてみたいと思いました。そして、このすばらしい暮らしを、過去の自分と同じように生き方に違和感を感じる人に伝えたい、とも思いました。

そこでこうした暮らしを表す端的な言葉を考え、遊び、暮らし、働き、学びの字を取って、「遊暮働学(ゆうぼどうがく)」と表現することにしました。

大人が働く側で子どもたちが遊ぶ。彼らは常に大人の動きを見て、こんな時はどうすべきか、を身体で学ぶ。そして大人が怪我をする姿から、何が安全で何が危険かを身に染み込ませる。 ともにすごせば、どんな場面でも子供に伝わることがある。
大人が働くそばで子どもたちが遊ぶ。彼らは常に大人の動きを見て、こんな時はどうすべきか、を身体で学ぶ
おもちゃではない、本物の道具を手にした子は、長い時間それを使って遊ぶ。そうして、大人の動きを注意深く見るようになり、使い方を身につけていく
写真12、大人の真似をする。真似っこ遊びは学びだ。他の大人たちが声をかけてくれる。いつでもどこでも子どもたちは遊びと学びを見つける。
大人の真似をする。真似っこ遊びは学びだ。いつでもどこでも子どもたちは遊びと学びを見つける

暮らしのなかでの学び

日本での買う暮らしに対し、タイでの作る暮らし、「遊暮働学」。

もちろん、全てを作る暮らしにはできませんし、お金を使わずに生きることは、不可能です。でも、暮らしの一部分だけ、例えばご飯を作るという小さな部分からでも、遊暮働学を少しずつ実践することはできるでしょう。その「作る範囲」を少しずつ広げていけば、暮らしの中の遊暮働学の割合を増やすことはできます。

考えてみると、暮らしを作るという意味では、家事と言われる、

  • 炊事(料理)
  • 洗濯
  • 掃除・片づけ

も、立派な遊暮働学です。家事代行という形でお金を払って依頼できることを、自分でやっているからです。そう考えると、遊暮働学していない人はいない、とも言えるでしょう。わが家はそれに加えて、自給自足の山暮らしをしていますので、

  • 畑仕事
  • 家や電気・水道のメンテナンス
  • 梅干し作り
  • 漬け物作り
  • 薪づくり
  • ニワトリの世話
  • 薪運び
  • 雪かき

なども、遊暮働学の要素として入ってきています。

遊暮働学しませんか?

薪作り
薪作りのようす。自分の人生がどんな風に支えられているか、そのありがたみを感じるのは子どもだけではない。子どもの時間を分けてもらっていることに、私たちからも素直に感謝が溢れる。手伝ってくれたら、心からの「ありがとう」を

このように、暮らしの中で家事をすることは、「作る暮らし」、遊暮働学の第一歩です。普段やっている家事を、

  • 子どもと一緒にやる
  • 子どもにお願いする

ことは、遊暮働学という「教育・子育ての自給」になるのではないでしょうか。子どもがうまくできない場合には、教えたり、一緒にやってあげれば、親子のコミュニケーションにもなります。自分でやってみることで、家事の「ありがたみ」を感じるようにもなるでしょう。

(妻より)雨漏り防止のペンキ塗りをしていた私を見て、娘が手伝ってくれました。 5月のお天気のいいこの日、鉄板焼きにならないように娘のペースに合わせてやっていたら 「ここで、パンケーキ焼けないかな?」と娘がいいました。) (写真16、せっかくなのでやってみました。クッキングシートの上に生地を乗せて、ボウルで蓋をして。結果はもちろん生焼け。「流石に人が歩ける温度では無理だったね。フライパンはあんなに熱いものね。」と笑いました。遊びは学び、仕事も学びです。)
(妻より)雨漏り防止のペンキ塗りをしていた私を見て、娘が手伝ってくれました。5月の天気のいいこの日、鉄板焼きにならないように娘のペースに合わせて作業していると、 「ここで、パンケーキ焼けないかな?」と娘
写真16
せっかくなのでやってみました。クッキングシートの上に生地を乗せて、ボウルで蓋をして。結果はもちろん生焼け。「流石に人が歩ける温度では無理だったね」と笑いました

子どもは、いずれ大人になって家を出ていきます。そのとき初めて、家事をする必要に迫られ、アタフタするかも知れません。それよりは、小さいうちから、一緒に家事をするという遊暮働学の実践が、子どもの「生き抜く力」になるのではないでしょうか。

(妻より)娘の大好きなお人形ぽぽちゃん。新しい服をなかなか作ってやれずにいたら、ある日、「型紙とレシピを用意して」と言われました。それを受け取ると娘は端切れの中から生地を選び、ミシンを踏み始めました。「ここを教えて」と言われたところだけ、手を貸しましたが、「できたよ〜」の声に振り向くと、出来上がっていました。これがやりたいという気持ちの底力なのでしょうね。
背中にはプラスティックボタンもあり、ちゃんと脱ぎ着できます

次回(最終回)は、旅から得た「生き抜く力」についてです。お楽しみに。

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著者の三栗さんから自作のPOP(画像)が届きました。現物は道内の書店で見られるかも!?

三栗祐己
三栗 祐己(みつくり ゆうき)

北海道札幌市の山奥で「パーマカルチャー研究所」を運営。パーマカルチャーとは、持続可能な暮らしのこと。家族4人で自給自足の暮らしをしながら、その暮らしから得られたパーマカルチャー的価値観を伝えることを仕事としている。著書『北の国から 家族4人で幸せ自給生活』(農文協)が発売中。

(写真提供:金本綾子)

北の国から 家族4人で幸せ自給生活

住まい・水・電気・薪・衣食までぜんぶ

三栗祐己・三栗沙恵 著

衣食住の生活技術や水・エネルギーの自給で、豊かで楽しい暮らし。プレハブの住まい、オフグリッド太陽光発電、薪ストーブ、野菜の貯蔵や保存食作り、衣類や石けんの手作りなど、「自給生活」を楽しむコツを大公開。