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【英語の原文あり】平和をつくりだす人になる その2|レイモンドからの手紙(6)

北海道で、「大地再生農業」を実践するレイモンドさんが、孫のあやめちゃんに綴る物語。農学特待生として大学に入学したものの、授業の内容に疑問を抱き、進路について思案していた。そんなとき、アメリカ政府が突然発表した徴兵登録のハガキが届く。

この記事は、『現代農業』に連載中の期間限定試し読みです。レイモンド・エップさんが書いた原文(英語)はこちらからご覧いただけます。

レイモンド・エップ/荒谷明子訳

1991年10月、カナダ・マニトバ州ブランドンにて筆者撮影(以下同)。「農家の抗議 小麦$2」と掲げたデモ。1ブッシェル2(カナダ)ドルは、当時1俵400円程度
1991年10月、カナダ・マニトバ州ブランドンにて筆者撮影(以下同)。「農家の抗議 小麦$2」と掲げたデモ。1ブッシェル2(カナダ)ドルは、当時1俵400円程度

戦争と同じことが起きている

 戦争になれば、人と人が殺しあう。「平和をつくりだす人になりなさい」「敵を愛しなさい」というイエスの言葉を実践しようと思うなら、どんな道を選べばよいのだろう。徴兵登録のためのハガキの欄外に、「リストに載せても戦争には参加しない」と書いたけれど、それだけでよいとは思えなかった。

 この問題(徴兵登録制度)について考える集会が開かれると聞いて、ジイジはそこに参加してみた。400人の若者と教会のリーダーたちが集まっていた。他の人たちの意見に耳を傾けているうちに、いろいろなことが胸に浮かび、だんだん黙っていることができなくなった。はっきり考えがまとまっていたわけではなかったけれど、立ち上がって話し始めた。

「人を殺す戦争は間違っている。だけど、平和をつくりだすためには、戦争に行かない意思表示だけでは足りないのではないだろうか。暮らしのさまざまな場面でいろいろな方法で人が殺されている。農業の現場では、貿易協定や補助金制度が変わることで離農する農家が増えるし、新しい技術を導入できない農家は取り残される。経済格差が生まれて地域社会や文化がじわじわと死に絶えていく。結果として戦争と同じことが起こっているんじゃないか」

故郷を離れる決断をした

 ジイジの発言に心動かされた人がいたかどうかはわからない。でも、このとき自分の中でカチッとスイッチが入った音がした。これまでの人生で体験してきたことと、大勢の人の前で話すことで明らかになった自分の考えとが、結びついて、これから歩む道が照らされたと感じた。

 平和をつくりだす人になろう。これまで、家族や農場や故郷を離れるのを願ったことなど一瞬たりともなかったし、そのときだってできれば留まりたい気持ちだった。でも、故郷を離れる時が来たと感じた。恐れを感じていたかって? そうだね、とても怖かった。でもね、「ただ神の国を求めなさい。そうすれば必要なものはみな与えられる」というイエスの言葉が聖書にはある。つまり、人も自然も互いに愛しあい調和して暮らす社会のために、怖れずにあなたの力を差し出しなさい。食べ物や着るもの、住まい、仲間など、必要なものは神さまが備えて与えてくれるのだから、互いのいのちを大切にする生き方を選びなさい、というメッセージだ。慣れ親しんだ場所や人と離れることは大きな決心だったけれど、この言葉を胸に抱くことで勇気を持つことができた。

現実は残酷、でも後戻りはできない

 平和について学ぶためにカナダへ渡り、「メノナイト聖書学院」に編入した。すばらしい学びが始まった。ところが6日目に、ジイジのお兄さんが自動車事故で命を落としたという連絡が飛び込んできた。すぐにジイジは家に帰って、そのままトウモロコシの収穫が終わるまで農場を手伝った。ひいおじいちゃんは打ちひしがれて、死んだお兄さんの代わりにジイジに農場を継いでほしいといった。あぁ、それに応えることができないとは、現実はなんて残酷なんだろう。2人の息子がどちらも農場を継がない、という現実を受け止めなければならない父親の気持ちを思えば、胸がはりさけそうだった。

 ジイジだって、本当は農業が大好きで、これまでたくさんの情熱を注いできたっていうのに。断るのはとても辛いことだった。でも、平和をつくりだす人になりたいという自分で選んだ道を、ジイジはもう歩み始めていたから、後戻りはできなかったんだ。

「食べることも農作業」と気づく

 カナダの聖書学院にはたくさんの尊敬すべき先生たちがいた。ある先生は、ジイジが農業を愛していることを知って、聖書の教える平和づくりと農業がどうつながるのかを取り上げている本を贈ってくれた。すばらしい本だった。その分野への関心はまだ低い時代だったけれど、それがこれからの人生で自分が研究していくテーマになるだろうと感じていた。

 学ぶ気持ちは満々でも、農業のことばかり学んできたジイジには初めて見聞きする言葉ばかりだったから、なかなか大変だった。辞書と首っ引きでたくさんのことを勉強したよ。しかし、1年、2年と経つうちに、自分は学者には向いていないとつくづく思うようになった。だんだんと体がむずむずしてくるんだ。今このときにも世の中には苦しんでいる人がいるし、農村には問題が散在しているのに、ここで読んだり議論している場合なのか?ってね。都会に住む自分は農業の抱える問題に対して何もできないと思って、気が滅入るばかりだった。

 けれどね、いつしかこんなふうに自分に言い聞かせるようになった。「少なくとも、1日3回、何を食べるか選ぶことで、持続可能な農業や、良心的な流通のしくみを支援することができるじゃないか」って。そう、ジイジが「食べることも農作業」っていうのはこのときから始まったんだよ。

80年代後半、北米の「農業の危機」

集会所に集う農家。1エーカー30ドルの補助金を訴えた(当時約750円/10a)。実際にはその半額しか助成されなかった
集会所に集う農家。1エーカー30ドルの補助金を訴えた(当時約750円/10a)。実際にはその半額しか助成されなかった

 1980年代後半から90年代前半は、たくさんの農家が銀行へ借金を払えずに土地を差し押さえられ、その総面積は当時ジイジが住んでいたカナダ国内で40万haを超えるほどだった。なんでそんなことになったのかって? 天候不順のせいでもなく、農家のやり方がまずかったせいでもない。農民にはまったくコントロールできないことが原因だった。

 一つは、小麦の価格が暴落したこと。アメリカ政府が、備蓄していた5年分の小麦を世界市場に売りに出したからだ。アメリカ、カナダ、メキシコの3カ国による自由貿易協定を結ぶための準備が着々と進み、カナダ国内の農家を優遇してきた政策も打ち切られていった。そして、銀行の金利が大幅に変動して、借金の返済額がとんでもなく膨らんだ。

 小さな町では、何が起きているのか誰も話したがらなかった。次の年はもう農業を続けられないなんて。たくさんの借金を抱えてこれから生きていかなきゃならないなんて。怒りを向けようとも、これはいったい誰のせいなのかもわからない。辛い気持ちを忘れようと、毎日たくさんのお酒を飲む人もいた。一番身近にいる大切な家族にストレスをぶつける人もいた。暴力を自分自身に向ける人さえいたよ。農家による大規模なデモ集会も行なわれていた。メディアはどこもかしこも「農業の危機」を報じていた。でも、希望のある話へとシフトするために何ができるのかという情報は流れてこなかった。

 ジイジは、農家も都市に住む人も誘って、そもそも農業ってなんだろう、とか、何のために人は農業するのかを、一緒に考える場をつくろうと思った。あやめちゃん、どうして人は農業をするのかな? 元気で幸せになれるような、おいしい食べ物を育てるためじゃないかな? そして、それを一番おいしい状態で、一番食べてほしい人にどうやって届けるか? そんな仕組みを支えるのが、食料システムのはずだと思うんだ。

 次回は、ようやく聖書学院を卒業したジイジが、カナダで2年間、人々とともに、希望と変化をもたらすために行なった、いくつかの取り組みをお話しするよ。

(北海道長沼町)

レイモンドさんが書いた原文(英語)は、こちらでご覧になれます。

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農文協 編