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あああ

【北海道でリジェネラティブ(大地再生)農業を実践】ぼのちゃんとジイジの話|レイモンドからの手紙(10)

北海道で畑を耕さない「大地再生農業」を実践するレイモンド・エップさんが話題です。そのレイモンドさんが、孫のあやめちゃんに綴る物語。

この記事は、『現代農業』に連載中の期間限定試し読みです。レイモンドさんが書いた原文(英語)もこちらからご覧いただけます。

レイモンド・エップ/荒谷明子訳

ファーマーズマーケットで野菜を売るぼのちゃん

あやめちゃん

 朝6時、君はまだ眠っているだろうか。森のほうからシカの鳴き交わす声が聞こえてくる。鳥たちの歌声も響いている。池のカモたちは旅の前にひととき羽を休めている。冬はもうすぐそこだ。

 今日の手紙には、君のバアバ「ぼのちゃん」のことを書こう。ぼのちゃんとジイジがお互いにとっての居場所を模索していた時のお話からしようね。

 ん?その前に、どうしてジイジが「ぼのちゃん」って呼ぶのかって? ハハハ、そうだね。ジイジが初めて日本にやってきて、出会ったことの一つに相撲があった。小柄な力士が土俵の中をすばしっこく動いて相手の後ろに回り込んで押し出したりするのが面白くて、すっかり相撲ファンになったんだ。なかでもジイジが好きだったのは曙《あけぼの》といって、身長は2m以上、体重は215kgある体の大きな力士でね、大きさの点ではまったく違うけど、名前(あきこ)が似てるから、ジイジはふざけてバアバのことを「あきぼの」って呼び始めた。それが名前の由来なのさ。

お百姓さんになるのが夢

カナダ・マニトバ州の野生動物管理地域でガーターヘビをもつぼのちゃん
カナダ・マニトバ州の野生動物管理地域でガーターヘビをもつぼのちゃん

 話を戻そう。お互いにとっての居場所になれるかどうかは、よく知り合って初めてわかる。それはなかなか骨の折れることだけど、言葉や習慣が違う場合はさらに厄介だ。その頃ジイジは日本語がチンプンカンプンだったし、ぼのちゃんの英語力もまだまだだった。言葉にしていることと、実際にいいたいことにはギャップがあるかもしれないと思いながら耳を傾けたことは、逆によかったのかもしれない。ゆっくり時間をかけて相手が何を大切にしているのか、見つけていくのは楽しかったよ。

カナダ・アルバータ州への旅行でのランチ休憩
カナダ・アルバータ州への旅行でのランチ休憩

 ぼのちゃんは、少女の頃からお百姓さんになるのが夢だったらしい。ジイジも農業に深い情熱を感じていた。ぼのちゃんもジイジも、神さまがこの世界を愛していることを信じていた。でも果たしてそれだけで、互いのふるさとが9000kmも離れている2人が、残りの人生を手に手をとって歩いていけるのだろうか?

土と人とともに生きる道

 1992年秋、ぼのちゃんは日本に帰り、ジイジはカナダを離れ、故郷アメリカのネブラスカ州に帰った。そこに再び自分の居場所を見つけられるだろうかと不安を感じながらも、故郷で大好きな農業をしたい思いが膨らんでいた。

 ジイジの両親は、当時350haほどの農地をもっていた。その一角に、かつて小川が斜めに横切っていたために農機が入れず、耕作放棄されていた2haほどの三角形の土地があって、その近くには古い家が建っていた。そこを借りてジイジは農業を始めることにした。それはなかなか素敵な居場所になりそうだった。

 でもジイジはどうしてもぼのちゃんのことが忘れられなくて、何通も彼女に手紙を書いた。そして1993年3月、ジイジは日本にやってきた。ぼのちゃんの両親の家に滞在し、6カ月間、2人でそこから近くの農家に通い、農業研修をしたんだ。これからの将来、互いにとっての居場所になれるかどうか何度も話し合った。故郷で農業したい、それは使命感といってもいい感情だと伝えたとき、ぼのちゃんはジイジの手を取り目に涙を浮かべて、これで私たちの関係は終わりだと思いながら、ジイジの幸せを祈ってくれた。もしもネブラスカの風土や人に馴染めなかった場合、自分はジイジの夢の邪魔をしてしまうと彼女は感じたんだ。

 ジイジは気づいた。故郷に戻りたいという自分の熱情は、自分たちの仕事と暮らしを地域のコミュニティに根ざしていきたいという思いだと。その覚悟をもって、神さまの導きと助けを絶えず求めながら、土と人とともに生きる道を2人で歩んで行こう。故郷がその場所ではなかったと気づくことがあれば、2人で一緒に道を探そうと約束した。

デントコーン畑に囲まれた小さな野菜農家

 ジイジたちは1994年1月に札幌で結婚し、その年の春、ネブラスカで最初となるCSA(Community Shared Agriculture=地域で分かち合う農業)を始めた。農場の名前は「Just Vegetables(ジャスト ベジタブルズ)」。Justには「正義」という意味がある。聖書に書かれている「正義に飢え渇く人は幸いである」というイエスの言葉からとった。人に対して公平に接し、神さまから見て正しいことをするという意味だよ。

 デントコーン畑に囲まれた小さな農場で、ジイジとぼのちゃんは30種類の野菜を有機で育てた。野菜農家は周りに一軒もなかった。800haくらいの規模で主にデントコーンを育てる農家がほとんどで、夏には農薬をまく散布機が上空を飛んでいた。

経済の論理から「もう後戻りできない」

 CSAに申し込んでくれたのはたった13家族。残りの野菜は週1回大きな街で開かれるファーマーズマーケットへ通って売った。チャレンジは楽しかったし、2人一緒に働けることがとても幸せだった。でもね、人々がふだんあまり野菜を食べないってことは、思った以上に深刻だった。

ファーマーズマーケットで野菜を売るぼのちゃん
ファーマーズマーケットで野菜を売るぼのちゃん

 さらに難しさを感じたのは、かつては助け合い、ともに生きてきた人々の暮らしが、ジイジが育った頃とはすっかり変わってしまっていたことだった。それぞれの農場の規模ははるかに大きくなり、機械が人の手にとって代わるようになっていた。効率を求めて、もっと大きくもっと速くと、まるで何かと競争しているかのように見えた。

 暮らしの中に根づいていた、メノナイトの人々が世代を超えて伝えてきた宗教的な教えよりも、経済的論理やテクノロジーに重きが置かれているようだった。農地や機械の適正規模について、もしくは農薬の害について話そうとしたが、聞く耳をもってくれる人はいなかった。「そういう話は考えたくない。もう後戻りはできない」。そういって悲しげに首を振る農家もいた。ここで生きていけるのだろうか、つい皮肉っぽくなる自分が嫌になってしまうことが度々あったよ。

わが子を親しみの輪の中で育みたい

 そんなとき、君のひいおばあちゃんが日本から訪ねてきた。そして、札幌のメノナイト教会の仲間たちが、信仰に根ざした共同体を始めるために農地を探していると教えてくれた。志を分かち合う仲間がいれば、苦労も喜びに変えられるのではないかと心が揺れ動いた。

 日本で宣教師をしていたメノナイトの神学者、ノーマン・クラウスとルース・クラウスに会って日本へ行くことを相談した。そのときジイジとぼのちゃんは、この先5年間日本へ行って、共同体の立ち上げを手伝い、その後アメリカの農場に戻ってこようと考えていた。ノーマンは「5年間では何もできないよ。もし行くなら10年間尽くす覚悟が必要だ」といった。

神に導かれるヘブライ人。1930年代に自由学園の生徒が描いた絵画
神に導かれるヘブライ人。1930年代に自由学園の生徒が描いた絵画

 さぁどうするか? 毎日、祈り考え合った。ぼのちゃんのお腹にはそのとき赤ちゃんがいた。そう、あやめちゃんのお父さんだ。その子を家族だけではない、親しみある人の輪の中で育みたいと思った。共同体のメンバーとして参加したいと書いた手紙を札幌の教会へ送り、冬が来る直前にアメリカの両親に別れを告げ、日本に渡った。聖書の中で奴隷だったヘブライ人が神さまに導かれたように、働きの場が与えられることを、そして居場所が与えられることを祈りながら。

(北海道長沼町)

レイモンドさんが書いた原文(英語)は、こちらでご覧になれます。

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