北海道で畑を耕さない「大地再生農業」を実践するレイモンド・エップさんが話題です。そのレイモンドさんが、孫のあやめちゃんに綴る物語。
この記事は、『現代農業』に連載中の期間限定試し読みです。レイモンドさんが書いた原文(英語)もこちらからご覧いただけます。
レイモンド・エップ/荒谷明子訳

あやめちゃん
オーマイグッネス! あやめちゃん、この前の手紙からもう1カ月も経ったんだね!
今回は、「居場所」についてお話ししようと思う。「居場所」って、なにかな? とっても大事なものだけど、普段はあんまり意識することがないかもしれないね。この間、冬を暖かく過ごすために父さんが薪を積んでいたね。食べ物が必要なだけ蓄えられていて、毎日安心して眠りにつける場所。繰り返しいのちが再生され、私たちの衣食住を生み出してくれる大地。慈しみの気持ちで接すれば、それ以上の恵みで応えてくれる田畑と、それを支える近隣の野山の自然。そこに抱かれていることを感じると、感謝と生きる喜びが湧いてくる場所。家族や、自分を大事にしてくれる人と一緒にいるときや、お母さんやお父さんに抱っこされて安心なときも、君は「居場所」を感じることができるんじゃないかな。ジイジの想像する「居場所」は、「拠り所」と言い換えることもできそうだ。
しかし人はそういう「居場所」を突然失ってしまうこともあるんだ。戦争で家を失ったり家を追われてしまった人たちがいる。2011年の福島原発事故のあと、たくさんの人が農場や村を離れることになった。1980年代後半から90年代にかけては、カナダの草原地帯で何百人もの農民が、農業政策の変化や市場価格の変動により、住む場所や「居場所」を失った。それらの人の中には、家族を事故や自殺で亡くした人もいる。いわば二重の喪失だ。いまこのときも、不確かな未来への不安や恐怖と混ざり合った悲しみに暮れている人たちがいる。
商品化された農地
農地を買ったり借りたりする場合、カナダやアメリカでは日本とは事情が違う。日本では、農地は農家か農業を行なう企業だけが買うことができるようになっている。向こうではお金があれば誰でも農地を買うことができる。そして、両親の農場を引き継ぐ場合であっても、一般的には農地を両親から買い取るか、借りなければならない。だから新たに農業をする者はほとんど例外なく、地代の借金を抱えてのスタートとなるから、とても大変だ。
しかもね、年に数回狩猟や釣りをするための自分の場所を持ちたいと考える裕福な人たちや、経済が変動しても価値が下がりづらい土地を利用してお金を儲けようとする人たちもいて、手に入れられそうな農地はないかと目を光らせている。そのせいで、農地はだんだん農家が支払うことができる価格を超えてしまってきているんだ。
みんなの「居場所」となる農地
日々なにげなく食べていたとしても、それはどこかの農地で育ったものだとしたら、その農地は農家のものであると同時に、食べる人にとっても、いのちを支えてくれる「居場所」なんじゃないかな。そんな大切な農地が、農家の手に入らないような高額なものにならずに、ずっと人々の「居場所」であり続ける方法はないものだろうかと、ジイジは考えた。そして、友人のブルースターと弁護士のハーブ・ピーターズとともに、コミュニティ・ランド・トラスト(Community Land Trusts)の設立を模索し始めた。コミュニティ・ランド・トラストの「ランド」は土地、「トラスト」は信託、信頼を意味する言葉だ。様々な立場の市民が協力して、託された土地を管理し、土地を必要としている人が負担しやすい価格で届ける、人びとの信頼を基盤とした草の根の取り組みなんだ。つまり、農家は、農地を所有するのではなく、使用する権利を買う。しかも、それを子孫に継承する権利も持つことができる。
農地は「商品」ではないし、外の人たちや一部の人の都合に振り回されることなく、コミュニティの一人ひとりの「居場所」として守っていこう。地域の暮らしの中で、互いや土地への思いやりを表わす具体的な実践になるんじゃないかと考えた。ブルースターとジイジには、土地は神さまのものであり、私たちは土地と互いを大切にするよう託されているという思いがあって、これは誰もが取りこぼされることなく、その恵みを享受し分かち合うという聖書のビジョンを実現するひとつの方法だと信じていた。
全国ニュースとなったブランドンの会合

ジイジたちはマニトバ州西部のブランドンという人口5万人ほどの小さな町で会合を開き、地域の農民たちとこのアイデアについて話し合った。翌朝目を覚ますと、ブランドン・サン紙の一面のトップに、ジイジの大きなカラー写真とともに前日の会議についての記事が載っていた。全国紙やテレビ局からインタビューの依頼が来た。あっという間に、この小さな集まりは全国的なニュースになった。
ところが、これを目にしたマニトバ州のメノナイトの大規模農家たちから、この取り組みへの批判の声が上がった。プログラムを中止しない限り、教会への寄付を止めるというのだ。彼らの先祖は、1874年にあやめちゃんやジイジのご先祖たちがアメリカへ移住した後も、ロシア(現在のウクライナ)に留まった人たちだった。ロシアで勤勉な農民としてコツコツと富を蓄え、裕福になっていたメノナイトたちは、1910年代に起こったロシア革命によって土地を没収され、大規模に農地を所有していた者は処刑されたりした。残された者たちもすべてを失い、いのちからがらロシアを脱出し、カナダへやってきた。コミュニティ・ランド・トラストとそのときの出来事はまったく違うものだったにもかかわらず、恐れを抱いた人たちを説得できないまま、教会はプロジェクトへの支援の打ち切りを余儀なくされた。
商品化された農地
農地を買ったり借りたりする場合、カナダやアメリカでは日本とは事情が違う。日本では、農地は農家か農業を行なう企業だけが買うことができるようになっている。向こうではお金があれば誰でも農地を買うことができる。そして、両親の農場を引き継ぐ場合であっても、一般的には農地を両親から買い取るか、借りなければならない。だから新たに農業をする者はほとんど例外なく、地代の借金を抱えてのスタートとなるから、とても大変だ。
しかもね、年に数回狩猟や釣りをするための自分の場所を持ちたいと考える裕福な人たちや、経済が変動しても価値が下がりづらい土地を利用してお金を儲けようとする人たちもいて、手に入れられそうな農地はないかと目を光らせている。そのせいで、農地はだんだん農家が支払うことができる価格を超えてしまってきているんだ。
試練という贈り物
それまでの2年間、ジイジは人生のすべてを注ぐつもりで活動してきた。そのために旅もたくさんしたし、多くの素晴らしい人々に出会って道がどんどん拓かれていく感覚があった。十分な計画と戦略を立てれば、できないことは何もないという自信も感じていた。あやめちゃん、君にはハッピーなことだけ語り伝えたいけれど、人生はいつもハッピーとは限らない。活動が活発になり忙しさが増すにつれ、気づくとジイジの生活は崩れていってしまっていた。いつか君も知ることになるだろう。ジイジの最初の結婚はこの時期に破たんしてしまったんだ。「居場所」のひとつだった教会のコミュニティは、ジイジと関わりを持ちたがらなくなった。仕事を失い、数日間ホームレスにもなった。もはや心の痛みに耐えられないと感じ、自ら命を絶つ寸前までいったこともあった。
そんなとき、たとえ圧倒されるような辛い経験に対しても感謝することを覚えなさいという助言をくれた人がいた。その言葉が、ある夜、冷たく暗いアシニボイン川に身を投じかけたジイジを文字通り救ってくれた。天使が訪れたかのように、自分は変えられたんだと感じた。苦しみと痛みは目に見える傷痕のように心にまだ残っていた。しかし、それは同時にジイジが癒やされるために必要なものであり、試練も含めたすべてが贈り物なのだと思い知らされた。たとえ人生で偉大なことを成し遂げたとしても、それすら恵みとしてもたらされた贈り物だった。感謝の気持ちがあふれ、苦しく痛む心を覆っていった。
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「ぼのちゃん」と君が呼んでいるバアバがジイジの人生に現われたのは、この複雑な時期だった。私たちは一緒に仕事をし、多くのことを語り合った。私たちはお互いにとっての「居場所」になれるかどうか、もしそうなら2人が住む「居場所」はどこにあるのかを発見する旅に出た。それについてはまた次回に書くことにしよう。
(北海道長沼町)
レイモンドさんが書いた原文(英語)は、こちらでご覧になれます。
【北海道で大地再生農業】レイモンドからの手紙