自分でお酒をつくるのが全面的に禁止されたのは、明治時代の1899年です。その経緯を少し見ておきましょう。
もともと、農民のドブロクくりは自由でした。自分の田でとれた米で酒をつくっていたのです。いっぽう、酒造業者には酒税が課されていました。それを政府は①1880年に増税。酒の価格が上がっても販売量が落ちないように、自家用酒の製造数量を一石(180L)以下に制限。それ以上は買うように仕向けました。次いで、②82年に免許鑑札制度が導入され、自家用酒製造者は免許料を支払わないといけなくなりました。さらに、③86年には「清酒」の自家醸造が全面的に禁止され、④96年には規制が強化され、自家醸造は濁酒(ドブロク)、白酒、焼酎のみに認められ、それらにも軽減税率で課税されるとともに、直接国税10円以上の納税者には自家醸造が禁止されました。これはせめて零細な農民のためにドブロクづくりは認めてほしいという声を受け入れたものといえますが、ついに、⑤99年、大幅な増税のために自家醸造は全面的に禁止され、今日までこの措置が続いてきているのです。
自家醸造に対する規制の強化が、酒税の増税と連動していることにはもうお気づきですね。そう、この時期の酒税の増税はすさまじいものだったのです。一挙に1.5倍、3倍といった今日では考えられないような大幅な増税が行なわれました。当然、酒造業者は大反対です。そこで政府は、「自家醸造を全面的に禁止して、商品としての酒を買わざるをえないようにするので、増税を受け入れよ」と迫り、業者側も妥協するわけです。これが、自家醸造禁止の本当の理由です。