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映画『百姓の百の声』制作秘話①農家を肌で感じる旅へ

『現代農業』を橋渡しとして、「農家力」の世界に消費者を誘おうという野心的な映画がこの秋公開される。
その名も『百姓の百の声』(http://www.100sho.info/)。
連載1回目は、監督の柴田昌平さんが何を思いこの映画を撮ったのかを振り返る。

百姓の百の声
ラフイメージ by 阿部 結

「わからない」を大事に

「その国に至る道がこれほど遠いとは思いもしなかった」

 僕がドキュメンタリー映画『百姓の百の声』の冒頭に置いた言葉です。大学時代に1年休学し、山梨の山村で過ごした僕にとって、農への理解を「点」から「面」として深めていくことは30年来の夢でした。念願をかなえるべく、2020年から『現代農業』の取材チームに導かれながら全国の農家を訪ね始めました。しかし最初のうちは農家と『現代農業』取材班が交わす言葉の意味がまったく理解できません。まるで「異国」にいるような感じで、居場所が見つかりませんでした。

 僕はドキュメンタリー制作を30年以上続けてきたので、知らない分野の暮らしや人生に触れることには慣れています。海外での長期滞在経験も豊富にあります。そんな僕にも、農家の人たちが本気で話していることの中身がさっぱり理解できない。『現代農業』編集部の人に解説してもらっても、まだ理解できない。そんな取材が半年ぐらい続くと、つらくて暗い気持ちになってきます。

 絶望的な気持ちになっていたとき、「ここは百姓国という、近くて遠い異国なんだ。わからないという感覚こそが大事なんだ」と気づきました。「百姓国という異国を、農家でない僕が旅をしていく。素直な目で見聞していく。それこそが今の多くの日本人にとって大事な気づきになるのだろう」と。そう思い定めると、「わからない」ということがようやく、つらいことではなくなったのです。

「問題」でも「ユートピア」でもない農業を知りたい

 ひるがえってみると、最初のころ、しきりに統計数字を見つめていた自分がいます。農業にはいろんな問題がある、それを解決する、みたいな議論が山ほどあることも知っていました。しかし『現代農業』編集部の面々は口をそろえて言います。「数字で見ると農業は暗い世界に見えるかもしれないけれど、実際に農家に会い続けている私たちからすると、まったく違うふうに見えるんだよ。力強くて、創意工夫に富んでいて、学ぶことだらけなんだよ」。

 おそらく、僕たち消費者がふだん触れる農業は、「問題」や「課題」として農業を伝える報道か、あるいはその逆で「ユートピア」として謳いあげるかのどちらか。「こんな困ったことがある」「こんな困った人たちがいる」、あるいは「こんな素晴らしい取り組みがある」―――真っ黒か、真っ白か。つまり二極化された言論空間になっているのでしょう。そこには、普通の農家の人たちの声はありません。

 だからこそ、田んぼで農家の人たちが何と格闘しているのか、ビニールハウスの中で何を考えているのか。僕たちが漠然と「風景」としか見ていない営みの、そのコアな姿を知りたい。たくさんの農家と出会い、その皮膚感覚や生き方を知りたいと思ったのです。

 誰を訪ねるかは、『現代農業』チームが訪ねる農家で日程が合うところに、どんどんついていくことにしました。新型コロナも到来し、行ける場所も限られています。「犬も歩けば棒に当たる」的な方針をとることにしました。「わかったふりをするな」とは記録映像の師匠・故姫田忠義監督から言われ続けてきたことで、姫田さんも「自分の人生は犬も歩けば棒に当たる」と表現していました。やる気がないのではなく、テーマ主義に陥らないようにすべしとの戒めであり、姫田さんの師匠である民俗学者・宮本常一にさかのぼる思想でもあります。

まず、モノサシと引き出しを準備

 発想を変え「わからないことを楽しむんだ」とは言いつつも、やはり何らかの形で「百姓国の言葉と文法」への理解を深める必要があります。自分にとっての考えるモノサシが必要だと思っていたところ、『現代農業』にもたびたび登場する茨城県の横田農場に、長期での取材を受け入れてもらえることになりました。

 ディズニーランド三つ分の面積に、多品種の米を時期をずらしながら、たった1台の田植え機で田植えをしている横田農場。稲作についてはほぼ何でもあります。専門分野をもったスタッフ、そして70代のおじいちゃん、おばあちゃんから、小学生の子供たちまで、幅広い世代が農場にいます。イネの生育調査を丁寧に行ない、スマート農業とほどよい距離を持ちつつ、直播栽培などのデータを積み重ね、直販によって食べてくれる人たちともつながっている。当時、横田さんたちは不作続きで、どうやったら豊かな実りへ向かうのか、栽培方法の改良に必死に取り組んでいました。横田さんたちが心を開き、長い時間を共有してくださったおかげで、僕の中で、他の農家を訪ねたときに一緒に考えるための引き出しが生まれていきました。

本物の耕畜連携を教わった

 稲作では、山口県で耕畜連携を続けてきた秋川牧園も取材を受け入れてくれました。秋川牧園は、畜産(養鶏)をベースに有機野菜なども生産・販売しています。「エサも国産で!」を掲げ、2009年から近隣の農家とともに飼料米の生産を行なってきました。「まもなく40人余りの飼料米の農家たちと一緒にイネの生育の視察会を行なう。そこに来てもよい」と言ってくれたのです。

 秋川牧園とその農家たちは、イネの肥料に鶏糞を使い、できた米はニワトリのエサにするという、地域内での循環を生み出しています。イネの栽培期間中に2回行なう視察の1回目は、害虫被害の調査とその防除のため。2回目は収穫前の実りの様子を全員で共有し、「もっとこうしよう、来年はこんなことをトライしよう」など議論を活発に行なっています。視察会を通して、農家の間に横のつながりが生まれ、リスクの大きい飼料米の栽培を続ける原動力となっています。

 イネをつくる農家の人たちは、最初は秋川牧園を信頼してよいのか、せっかく飼料米をつくってもすぐに打ち切りになったりしないか、と躊躇したそうです。長年の減反政策を通して、「最初のうちは調子のよいことを言いながら、だんだんとハシゴを外す」という仕打ちに遭い、新しい事業に誘われると心配になるそうです。そんな不安を乗り越え、互いの信頼関係を築けた基本は、「農家のためになるかを考える、農家と一緒になって考える」。秋川牧園は、たとえ飼料米の政府補助金が打ち切られようが、事業を継続するための方法を確立しようとしています。

 僕が山口に足を運べたのはわずか3回ですが、信頼関係が根づけば、農協や行政でなくても、民間の生産者(法人)が中心になって地域の力を高めることができる、と思えました。逆に言うと、そうした舵取り役がこれからますます重要になるのだとも思ったのです。

農家の技術は共有財産

 ところで「後継者問題」は、「問題・課題」を手掛ける農政ジャーナリストがよく扱う題目です。テーマ主義を避けるようにしてきた僕の場合は、偶然にも、環境制御の農家の現場からその話題に深く触れることができました。佐賀県のキュウリ農家、山口仁司さんは、オランダの環境制御の技術を取り入れながら植物の生長を見極める技も持っています。その技を記録しようという『現代農業』のチームに同行しました。

 日本有数のキュウリ農家である山口さんは19年から、毎年10人の就農希望者を受け入れトレーニングする圃場を、県とともに運営しています。いかにして葉に光を集めて光合成を促進するか、経営はどうすればよいか。自らの技と経験を惜しげもなく伝える山口さんの姿に、僕は驚きました。そんなに教えてしまい、名人が生まれてしまっては、かえって困らないのだろうか。

 僕の疑問に対する山口さんの答えは、「自分が今まで教わってきたことを周りに提供すれば、また、自分のところへ巡ってくる。よい技術を公開することで、また私のところへ返ってくるから、そっちのほうがプラスになると思うんです」というものでした。山口さんを通して、僕は「百姓国における知とは共有財産であり、互いに分かちあいながら共に豊かになっていくことなんだ」ということが深く刻まれました。

 考えてみると、ひとりの農家が一生の間に作物を研究し、栽培できる機会は限られています。自然が相手のため変動要因も多く、なぜ失敗したのか、なぜうまくできたのか、理由がわからないことも多いでしょう。それゆえに他人の経験を分かち合うことで、みんなの「知」が高まっていきます。

 これは、僕がこれまで取材した祇園の一流料理人や、帝国ホテルのトップ・シェフとも共通していると思いました。本当に一流の料理人は、技術をしっかり公開してくれます。公開しても、その日の微妙な環境の違いによって味が変わるため、最後はそのシェフ自らの経験で調整します。「共有の知」があって、さらに豊かでオリジナルな技があって、おいしい一皿が生まれます。農業も同じなのだと思いました。「共有の知」を分かち合いながら、百姓のプロとしての経験によって変動要因を乗り越えていくのです。

品種が広まるとチャンスが生まれる

 そして「共有財産である知」の象徴が、タネなのだと思いました。農民たちが千年を超える時間の積み重ねのなかで創り出していったタネ。叡智の結集であり、血と汗のたまものであるタネ。「百姓国の知」の象徴。それに対して、「グローバル企業の知」は「囲い込み独占し、商品化」しようとします。二つの「知」のあり方がせめぎ合っているのが、現代のタネをめぐる現場と理解しました。

 シャインマスカットの流出と損失を嘆く報道は今もよく目にしますし、種苗法改定に反対するコメントを出した女優がネット上で今もバッシングされ続けています。しかし実際にシャインマスカットをつくっている農家の声を聞いたことがないと感じていました。

 茨城の若いブドウ農家、深谷聡さんは、1房1万円もの値のつくブドウを輸出しています。彼にその疑問をぶつけたところ、意外な答えが返ってきました。「シャインマスカットが中国・韓国に流出したことは、かえってチャンスなのではないか。シャインマスカットという品種が世界に知られることで、このブドウを輸出できるチャンスが生まれる。ブドウはつくり手によって味がまったく違うので、よい意味でライバルが増え、自分も世界を相手に挑戦できる」。

 その自信と誇りに、目を覚まされた気持ちになりました。

「タネの流出で被害を受ける農家がかわいそうだ、弱い立場の農家を守るために種苗法を改定する」という議論をする人はたくさんいますが、おそらく、その人たちは「農家の力」を信じていないのかもしれません。ひょっとしたら、農家をダシにして、本当に守りたい対象は別にいるのかもしれません。

農業はクリエイティブ

「百姓たちの共有財産」「共有の知」という視点を持ってからは、訪ねていくさまざまな農家が、すべてつながっているように見えてきました。月刊誌『現代農業』は、きっとそうした「百姓国コミュニティーの共有の知のネットワーク」をつないできたものなのでしょう。最初の頃に、『現代農業』編集部の人たちが「どの農家を訪ねてもすべてに物語がある」と言っていた意味もわかってきました。

 米農家、野菜農家、果物農家、有機農家、新しいエコシステムに工夫をこらす人、地域のつながりを取り戻そうとする人たち、次世代に技術を伝えようとする人、原発による避難生活を乗り越えようとする人など、僕は足かけ3年にわたって多様な農家の人たちを訪ねました。90代の長老から21歳で初めてトラクタに挑戦する若者まで、それは百人に満たない数ですが、誰もが非常に個性的、創意工夫に満ちていて、オリジナル。しかし、どこか共通している……。

 まだ大雑把に編集した段階の映像を見てくれた映画館の人が言いました。「これまで観てきた農業についての映画で見たことのない世界を描いている」「農業って、こんなにクリエイティブな仕事だったんだ」。

 そう、僕たち(消費者)は、農業のことをわかっていません。この映画を観ると、多くの消費者にとって驚くことばかりでしょう。ひょっとしたら、百姓国の住民どうしの中でも知らない知恵にあふれていることと思います。「百姓国は遠くて近い、近くて遠い」。

 この映画は、単に観て終わりではなく、観終わった後の語り合いの場が持てるような機会ができたらと願っています。そのためのクラウドファンディングも始めました。上映を通して、地域の人々と農家が対話し、未来について「語り合う場」がたくさん生まれてくることを、心より期待しています。

百姓の百の声
クラウドファンディングサイト ※募集は終了しました。
https://motion-gallery.net/projects/100sho

公開は11月。映画館のない地域では、自主上映会で応援いただける方も募っています。

映画『百姓の百の声』公式HP
http://www.100sho.info/

著者紹介

柴田昌平 しばた しょうへい

ドキュメンタリー映像作家。代表作に『ひめゆり』『千年の一滴 だし しょうゆ』『森聞き』など。プロダクション・エイシア代表。