2025年3月10日発行の『みんなの有機農業技術大事典』。ここでは大事典にご寄稿いただいた著者の方々に、内容のエッセンスをご紹介いただいていいます。今回は、長年減農薬運動に携わってこられた宇根 豊さんです。
宇根 豊
この『みんなの有機農業技術大事典』は、情報源にもなるが、それよりも自分の生き方を考え直すきっかけになるだろう。その理由を説明する。
1、草や虫への情愛から始めよう
草を一本一本抜く、虫を一匹一匹殺す。単純で、外から見ると残酷な仕事だが、つい没頭してしまう。時の経つのも忘れ、我すら忘れてしまう。このように慣れた仕事は身体が覚えているので、頭を使わない。だからこそ、百姓仕事は忘我の境地にもっとも近いといわれている。
「いや、今では農薬や機械を使うから、そんな境地になることはない」と、多くの百姓は言う。しかし、この「農」本来の世界、近代化されても残っている世界、これまで有機農業に限らず百姓が大切にしてきた境地はこれからどうなるのだろうか。有機農業というと、「技術」が重視されるようになった。それは仕方がないと思う。しかし、「技術」の土台には、私たちが失ってはならない世界と境地があるのだ。それを守り続け、時には取り戻すことがこれから大切になるだろう。
そうしないと、未来の語り方は薄っぺらで殺伐としたものになる。
2、未来の姿(未来構想)
国の「みどりの食料システム戦略」では、2050年に農地の25%を有機農業にするという。そのためにAIを装備したスマート農業の技術を普及させるそうだ。その「技術」の思想はどんなものだろうか。「農らしさ」を滅ぼす技術になりはしないか。なぜ、現在の百姓の有機農業技術をそのまま広げる方法を探さないのだろうか。
「いや、もっと簡単に、短時間に、効率よく、安価に行使できる技術がないと、25%は無理ですから」と言う。現代社会が求めている効率と低コスト重視の姿勢を、有機農業にも求めているわけだ。それに外来の「地球環境への負荷軽減」も付け加えられている。
しかし、25年も先の未来では、現代の価値観がそのまま通用しているだろうか。むしろ価値観を静かに転換していく「戦略」こそが必要だろうに。
3、技術と仕事の関係
1977年のことだった。すでに野菜では有機栽培を実践していた福岡県筑紫野市の百姓・八尋幸隆さんから、当時農業改良普及員だった私は、「あなたたち指導員は農薬を散布させすぎる。オレは3分の1で済ませている」と批判された。
なぜ「指導」というものは、そういうものになるのか、と考えたことで、減農薬稲作は始まった。「指導」が無難で、画一的になるのは、「技術」の普及だけしか眼中にないからだ。このことに気づかせてくれた八尋幸隆という百姓との出会いが、私の人生を変えた。
彼との共同戦線は「虫見板」を生みだしたことによって、西日本各地に広がっていった。このことは『事典』に書いたので、ここではすべての農業「技術」そのものに、大きな空洞があることを見ておきたい。
「技術」とは、マニュアル化できるもので、指導員(第三者)が「指導」できるものでないといけない。しかし、百姓仕事は「技術」だけで成り立っているわけではない。マニュアルに載せられないものはいっぱいある。1百姓のまなざしの向け方、2手入れの仕方、3これまでの経験との整合性、4その田畑の天地自然(風土)の特徴、5とくに生きものたちの特異性、6長年の土と水の働き、7何を残そうとしているか、8どういう生き方をしたいのか、もうこれくらいにしておこう。
ここが工業技術と決定的に違うところである。有名な「技術とは生産の実践における客観的法則性の意識的適用である」(武谷三男)という定義は、農業技術にはあてはまらない。「農」には、客観的な(科学的な)法則性がわからない世界が多すぎる。しかし、非科学的な世界であっても、ちゃんとつかんで対処できるのが人間というものだ。それは頭(意識)だけではなく、身体でつかんで、直感でも判断できるものだからだ。
4、「技術」を支えているもの
「虫見板」を使うのは、技術の一部というよりも、「手入れ」だろう。「手入れに勝る技術なし」(山下惣一)とは名言だ。なぜなら「手入れ」には、「技術」を包み込むまなざしと情愛と経験があるからだ。
虫見板でウンカがかなり発生している田んぼがあった。普及員の私は「これは農薬散布しないと被害が出ますよ」と忠告したが、その百姓は散布しないで様子を見ると言い張った。1週間後に「見に来てくれ」と連絡があり、その田んぼに入って虫見板で見たら、ウンカは激減していて、クモやカマバチが目立った。その百姓は何となく予感がしたのだと言う。決断も生き方の一部だと納得した。つまり、要防除密度は、田畑ごとだけでなく、百姓ごとに異なることを知った。
近年になって、突然メタンガス抑制のためといって、(とくに長期の)「中干し」がやたらと推奨されている。私が主宰する「農と自然の研究所」による「生きもの調査」によって、中干しによって死んでいく生きものの種類と量ははっきりしている。しかしメタン抑制技術には、そうしたまなざしが含まれていない。「技術」は、必ず仕事の中で試行錯誤し、その人のまなざしを変えさせて完成するものなのだ。
「技術」を発想し、開発した者が、百姓か研究者かで、民と官に分けることも面白い。だが、すべての「技術」の土台には、必ず百姓(民)の仕事(手入れ)があってこそ、成り立っているという気づきはもっと大切だ。そうしないと、なぜ普及しない「技術」がこんなに多いのか、その原因もわからないだろう。
5、未開拓の分野がある
生きもの調査をやってきて、現代の百姓は、近代化される前の(90歳以上の)百姓に比べて、生きものの名前を知らないことに驚いた。かつては動植物入れて500種ほどの名前を呼んでいたのに、今では、福岡県で調べると平均で150種ほどだ。
有機農業は生きものへのまなざしを取り戻してほしいと願う。生きものたちが、生きものらしく生きることができるような「農」を目指したいからだ。同じ「いのち」への共感・情愛を自らの血肉とし、百姓仕事の核とし、生き方を支配させてみようではないか。そのためにも、かつては無意識に「ただの虫」や「ただの草」を守ってきた百姓仕事から、意識的に守っていく「有機農業技術」を開拓していかなければならない。
そのためにもこの『事典』で、多くの多彩な執筆者の語りの中に、その人なりのまなざしと生き方も露わになっていることに気づいてほしい。
(福岡県糸島市)
著者紹介:宇根 豊(うね ゆたか)
1950年長崎県島原市生まれ。福岡県農業改良普及員として虫見板による減農薬稲作を推進。退職後、農業のかたわら、農と自然の研究所を主宰、「田んぼの学校」を全国に広める。
- 第1回 有機農業のパラダイム(谷口吉光)
- 第2回 官より民が先をいく日本の有機農業(久保田裕子)
- 第3回 多彩な執筆者のまなざしと生き方をこそ読み取ってほしい(宇根 豊)
『みんなの有機農業技術大事典』のご案内
宇根さん執筆「減農薬運動と虫見板と『ただの虫』」が収録された第1巻共通技術編第1部では、有機農業についての総論が充実。第2部からは具体的な技術を紹介しており、チッソ固定細菌や生きものとの農業についても収録。第3部以降は不耕起栽培やカバークロップ、天敵などはもちろん、身の回りの資源の使い方や、納豆や石灰を使った防除、ヒートショックなど農家が培ってきた技術を多数紹介。第2巻作物別編ではイネや野菜、果樹、茶など作物ごとの詳細な技術について、農家のワザや経営に迫りつつ、それを支える研究事例とともに紹介。