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【農家の戦争体験記】戦艦武蔵からの生還 第3話

秋田県・柴田庫治

8月15日は、平和祈念の日(終戦の日)です。今ふたたび多くの人に読んでもらいたい記事を現代農業の元編集長が選びました。1993年7月号から6回にわたり現代農業で連載された、農家・柴田庫治さんによる回想録「戦艦武蔵からの生還」です。ぜひご覧ください。

第三射法

 戦艦武蔵に襲いかかる敵航空部隊は、約一時間毎に規則正しく、しかも真正面から正々堂々突っ込んでくる。一体どこから来るのだろう。戦後発表されたモリソン戦史によれば、サマール島沖の六艘の空母部隊からと推定される。

 

 第三波の襲撃を受けた時点で、武蔵は速力一六ノットに落ち、栗田艦隊の隊列から遅れはじめ、孤立する武蔵の警戒にあたる駆逐艦(清霜)と二艦になった。そこへ第四波の襲撃となった。被害は艦の前部に集中し、前のめりになった武蔵に、敵機は執拗に前部をめがけて食い下がる。

 

 この時、主砲はどうなっていたろう。最初の斉射で方位盤故障となり、後部の予備方位盤に切り換えたがこれも相次いで故障し、やむなく第三射法の態勢に入ったという。第三射法とは一番主砲は右舷に、二番主砲は左舷に、三番主砲は後方にあらかじめ向けたままにしておき、敵機がこの範囲に入って来たら射撃するという変則的な射法であった。これでは敵機に命中する主砲弾があったら奇蹟という他はない。

硝煙と赤い曳光弾

 満身創痍の艦と二〇〇〇人の乗組員を守り、さらに武蔵の面目をかけて独り奮戦するは機銃分隊だけである。主砲や副砲は厚い盾に覆われて砲員の身は安全であるのに比べ、機銃員には守る盾とてなく、その身を敵の襲撃にさらしながら、次々に襲いくる敵機に向かってひるむことなく、銃身も焼けよとばかり撃ちまくる。その姿が私のいる配置から手に取るように見える。感動のあまり私の握り拳がブルブル震えていたことを今も忘れない。

 

 しかし実戦は茶の間で見るテレビの映像とは違う。いつ自分のところへ爆弾が落ちるか知れない不安と、機銃射撃によって立ち込める硝煙に視界がまったく閉ざされるからだ。ただ二〇発に一発の割合で発射される曳光弾だけは、赤い糸を引いて空中に何百本となく交叉しながら乱舞する。その光景は仕掛け花火のように美しく目に映える。時折、敵機が銀色のジェラルミンの機体を光らせながら視界に入る。その度に思わず首がすくむ。

 

 第四波の襲撃で魚雷四本と爆弾四発が命中したと武蔵戦記にある。

飛び散る機銃員の手足・胴体鋤が飛ぶ、鍬が飛ぶ

 最後の襲撃となる第五波は一五時一五分からとある。敵空母イントレビット、キャボットの二艘から発進した攻撃機は一〇〇機以上で、そのうち武蔵には七五機が襲いかかり、最後のとどめを刺そうと群がってやってきた。このとき艦は左に大きく傾斜、艦首を海中に突っ込み速力わずかに六ノット。各機関室には相次いで浸水、または破壊され、操舵不能。右に大きく円を描くように回るだけだった。

 

 主砲・副砲すべて射撃不能、高角砲のほんの一部と機銃群だけがこれを迎え撃つ。私のいる後部測的所から見える範囲は、左舷中央部と後部の一部だけだったが、ここには機銃が針ネズミの如く配置されていた。艦の命運と面目をかけて渾身の力をふりしぼって敵に立ち向かう機銃員に、敵の襲撃は少しの容赦もしなかった。

 不意に、全く不意に機銃員が空中高く舞い上がる。そして身体がバラバラに分解されて甲板に落下する。爆弾が甲板に命中し、その爆風によるものであろう。機銃も破壊され吹き飛ばされる。

 

 人間極度に緊張すれば色を失うというが、音も失うことを知った。機銃は轟々と音をたてて発射されているはずだし、爆弾が落下すればドカンドカンと爆発音をたてるはずなのに何も聞こえない。無声映画を見るように映像だけが動く。その時、不思議なことに飛び散る機銃員の手足や胴体がなぜか農具に見え、アッ、鋤が飛ぶ、鍬が飛ぶ、と心で叫んでいたのを記憶する。

巨大な水柱、沸騰する海面

 魚雷が命中すると巨大な水柱が立って、視界が遮られるが、数分して滝となって甲板に落下する。すると硝煙が消されて急に視界が明るくなる。山と積まれた機銃の薬莢も戦死した機銃員の死体もきれいに海中に洗い落とされる。

 

 ふと海上に目をやると海面が沸騰する如く盛り上がっている。何千何万発もの機銃弾が空しく海面に落下し海水を跳ね上げるのだ。

 第五次の空襲だけで武蔵に命中した魚雷は一一本、爆弾一〇発、至近弾六発であったというが、ついでに機銃掃射も行ない、ゆうゆうと飛び去って行く敵機の姿をただ呆然と眺めていた。

 

 第一次から五次までの戦闘時間は五時間にわたり、栗田艦隊への延べ来襲機二六〇機、うち武蔵は一四〇機を迎え撃ち、敵機四五機を撃墜せり、というがモリソン戦史によれば、この戦闘による米軍の損害は一八機という。これから推定すれば、武蔵一艦で撃ち落とした敵機は一〇機前後でなかったろうか。それと引き換えに六万八二〇〇tの巨艦と一〇七〇人の人命を失う結果となった。巨砲主義は割に合わない主義であった。

血の海に丸太棒のような戦死者

 第五波の敵襲により武蔵は正に満身創痍惨澹たる状態となった。すべての通信機器は破壊され、指揮命令系統は断たれ、何がどうなっているのかさっぱり判らない。後部測的所は誰も無言である。その時、傾斜した上甲板を伝令が「戦死者負傷者そのまま総員甲板に集合!」と絶叫するように走り去って行った。後部測的所には幸い、戦死者も負傷者もいない。後甲板は板張りのなり鉄板むき出しの甲板で、これまで一度も集合場所として使用されていないので不審に思いながら上甲板に降りて見て声も出なかった。

 

 前甲板は海中に沈み、一番砲塔と二番砲塔は小島のように浮いて見える。集合できる場所は後甲板だけであった。その後甲板は地獄の様相を呈していた。戦死者負傷者そのままの令に反し、戦友に負われた負傷者は続々と後甲板に列をなす。丸太棒のように戦死者がところかまわず散乱し、血の海を這う負傷者やうめき声を上げて苦しむ負傷者に目を覆う惨状であった。

 

 やがて将校の一団に囲まれるようにして副長(副艦長)が現れ、三番砲塔の天蓋に立った。

 

 「本艦は全力を尽して六波(実際には五波であった)に及ぶ敵機と交戦これを撃退した。艦長は負傷されたが前部艦橋で指揮をとられている。本艦の今後の任務は付近の島に座礁し砲台の役目をなす。しかし電気系統の故障で人力操舵を試みて運航するため五〇人の決死隊を募る。本艦は長い年月と多大な資材を投じて造られた世界最強の戦艦である。本艦を救うため、進んで決死隊に参加することを望む。なお機銃員は戦闘配置に戻り、敵機に備えよ。他の乗組員は艦の傾斜復原を図るため左舷の重量物を右舷に移動するよう命じる」

 

 以上のような趣旨であった。

人力操舵の決死隊への参加

 五〇人の決死隊は即時編成され、私もその一員に加わった。後甲板中央部に整列した決死隊はなぜか下級兵士だけであった。

 

 取舵室に関係ある下士官だろうか員数を確認するため一人一人の肩に手を置いて一、二と数え始めた。私は前の方にいたので二番か三番あたりと思う。肩に手を当てられたとき、私の髪は逆立ち、膝がガクガクと震えて起立しているのがやっとであった。死への恐怖のためばかりではない。生きて故郷に帰り、また百姓をやるからと固く心に誓ってこれまで生きてきたのに、いま自ら進んで死地に向かうとは何と軽率な行動に出たのだろうと悔やまれてならなかった。

 感激しやすい性格の私は、機銃員の奮戦を目のあたりにしていまだ興奮さめやらず、自分にできることなら決死隊だろうが、特攻隊だろうが何かに役立ちたい一心から決死の人力操舵員に参加したのだった。

 

 しかし決死隊とは生きて戻れぬ文字通りの決死隊であることを肩に手を当てられて気がついたのだ。今更隊列から抜けることもできず、震えながら整列していた。傾斜した鉄甲板は血糊で滑りやすく、軍靴を捨て、素足の指先に力を入れてやっと起立していたことを覚えている。

 

 艦底の操舵室に入る前に誰かが、艦が停止したぞ! と大声で叫んだ。艦尾からの白い航跡が消えている。艦の運航が止まれば人力操舵の必要もなくなる。決死隊解散の命令が出るのを待ったが、後甲板は混乱を極め解散命令の出ないまま、一人減り二人減りして決死隊は自然解散したが、決死隊を募り死の恐怖を与えておきながら、必要なくなれば解散命令も出さない幹部に何かやり切れないものがあった。

忘れてきた日章旗と千人針

 私は、大切なものを後部測的所に忘れてきたことに気付いた。出征の時、武運長久を祈願して寄せ書きしてくれた日章旗と千人針である。

 

 武蔵や大和は冷房がきいて居心地がよく大和ホテルに武蔵御殿などと言われるが、あれはウソである。士官室以上はそうであったかも知れないが、兵員室は湿度が高く蒸し暑かった。特に戦闘配置である後部測的所は暑くて汗が浮き出る。そのため腰にタオルを巻いて上体から流れ落ちる汗をタオルでくい止める。そうしないとひどい股ずれを起こして苦労するからだ。武蔵は二十五日未明を期してレイテ湾に突入する予定であったので、決戦の時まで日章旗や千人針を汗で汚してはならないと測的所のケースに大切に保管してあった。

 

 しかし武蔵は沈没寸前であることが下級兵士の私にもよくわかる。これからどんな事態が起こるかしれないが、この身にしっかりと日章旗と千人針を巻きつけて故郷の人たちの温情を胸に抱きながら頑張ろう、そう思った。しかし艦の傾斜は更に深まり。後部艦橋は今にも倒れそうである。ラッタル(回転階段)を登り始めたが恐ろしくてとても登ることができない。ついに引き返してしまった。

 

 私は前部測的所の方に走った。そこには同郷出身の先輩がいる。その安否が気掛かりであった。左舷側甲板はあんなに爆撃を受けたのに、めくりたったところもなく、走り回る乗組員でごった返していた。その時、私は異様な光景に出会った。それは決して忘れることのできない光景であった。

【絵】貝原浩

(第4話に続く)

*月刊『現代農業』1993年9月号(原題:戦艦武蔵からの生還(3))より。情報は掲載時のものです。

柴田 庫治 しばた くらじ

1922年秋田県羽後町生まれ。故人。1943年、海軍に徴兵される。復員後、農業を営むかたわら、長年にわたり現代農業に寄稿。イナ作名人としても知られ、さまざまな農業技術の開発に没頭した。現代農業1993年7月~12月号に自らの戦争体験をまとめた「戦艦武蔵からの生還」を連載。(写真:赤松富仁)

戦艦武蔵からの生還

●重油の海に漂いながら●出征を祝う酒宴に土足のドブロク摘発員●国のために死ぬことはない庫治、必ず生きて戻れ●ブラジルに渡った兄との約束●秋田弁丸出しの従兵●海軍砲術学校測的科

●不沈戦艦「武蔵」の威容●農村不況の中での巨大戦艦の建造●レイテ作戦●主砲のバカヤロー●役に立たない主砲、艦の命運を握る機銃員

●第三射法●硝煙と赤い曳光弾●飛び散る機銃員の手足、胴体 鋤が飛ぶ、鍬が飛ぶ●巨大な水柱、沸騰する海面●血の海に丸太棒のような戦死者●人力操舵の決死隊への参加●忘れてきた日章旗と千人針

●軍力を持って海に飛び込め?●金モールの参謀たちへの不信●分隊士従兵の任命を拒否●出ない退艦命令、人雪崩となって海中へ●緩衡材となってくれた戦死者、負傷者●薄幸の戦艦、武蔵

●褌で丸太に身体を縛りつける●沈む者にホッとする自分●一世一代の晴れ舞台は重油まみれ、褌なしの丸裸●反転していた栗田艦隊●幹部に吹いた臆病風●部下を置き去りにした将校たち●たった一人の帰還

●一番船倉の420人●立ち上がった巨大な火炎●さんとす丸で起きた惨劇●救命ボートに必死でしがみつく●「生き残るとは悪運の強い奴だ」●戦艦武蔵と大規模農業

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