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【映画『百姓、わらう。』で伝えたいもの】土の「深さ」と農政の「浅さ」、理不尽をわらい飛ばす百姓たちの「生きざま」

映画『百姓、わらう。』より
映画『百姓、わらう。』より

2022年公開の『百姓の百の声』は、農の世界を「百姓国」として描き、消費者へと見事に橋渡しした作品だった。現在も各地で自主上映会が絶えない。その待望の続編である『百姓、わらう。』が2026年秋公開予定。新作で伝えたいことについて、柴田監督に紹介いただいた。

映画のポスター。原画:三田圭介、題字:財前謙、アートディレクション:西山里佳

映画のポスター。原画:三田圭介、題字:財前謙、アートディレクション:西山里佳
『百姓、わらう。』

2026年9月下旬、ポレポレ東中野(東京)より大阪、京都、広島などで順次公開。

執筆者:柴田昌平(プロダクション・エイシア代表)

『現代農業』2026年9月号「土の「深さ」と農政の「浅さ」 理不尽をわらい飛ばす百姓たちの「生きざま」」より

筆者。プロダクション・エイシア代表
筆者

犬も歩けば棒に当たる――新たな旅の始まり

 前作『百姓の百の声』の公開から3年が経ちました。あの作品は、農業を知らない消費者にとって「百姓国」への入り口となる映画にしたいと思って制作しました。農業というと、どうしても「大変で苦労が多い」「儲からず、かわいそう」といったネガティブなイメージを一般消費者は持っていますが、取材を通して僕が出会ったのは、圧倒的な知恵と創意工夫に満ち、自然とともに豊かに生きるクリエイティブな姿でした。

 この前作『百姓の百の声』では、おもに『現代農業』の読者の皆さんにもおなじみの、いわば「レジェンド」と呼ばれるベテラン農家の方々を訪ね歩きました。では、今秋公開予定の続編『百姓、わらう。』は、どうやって生まれたのか。

 じつは、前作の上映活動で全国を回る中での「出会い」がきっかけでした。各地の映画館や公民館での上映会には、思いのほかたくさんの若い農家たちが足を運んでくれたのです。そこで言葉を交わした彼らは、決して雑誌の誌面を彩るような有名な農家ばかりではありません。しかし、自分の足元をしっかりと見つめ、驚くほど確かな、そして力強い営みをしていました。「この若い彼らの姿を記録したい」。そう思った時、僕の背中を押してくれたのが、「犬も歩けば棒に当たる」という言葉でした。

 これは、僕の師匠である姫田忠義監督(民俗学者・宮本常一の弟子)から教わった、ドキュメンタリーの神髄ともいえる取材作法です。「最初からテーマを決めて取材をしてしまうと、そのテーマからこぼれ落ちた大切なものが見えなくなってしまう。わかったふりをするな」。テレビ番組のように厳しい締め切りがある仕事なら、あらかじめテーマを決め効率よく取材することもあります。しかし、この作品は自分が納得いくまで時間をかけられる自主制作の映画です。だからこそ、自分の足でひたすら歩き、出会ったものに素直に向き合う「犬も歩けば棒に当たる」のスピリットを貫こうと決めました。

 そして今回、僕が歩き回って当たった「棒」こそが、しっかりと大地に根を張って生きる、若い百姓たちだったのです。

映画に刻み込んだ、7組の若き百姓たち

 カメラを回し、ともに泥まみれになりながらたくさんの農家に出会いましたが、映画の編集を進める中で、最終的に7組の百姓の営みをスクリーンに刻み込むことにしました。全員が49歳以下――2025年の農業センサスで日本の人口の0.1%しかいない百姓たち――出演者の言葉を借りるならば「絶滅危惧種」たちです。

 たとえば、広島県三原市の岡田和樹さん(36歳)。100年以上前に積まれた石垣を森の中から掘り起こし、言葉なき先人たちと対話するように耕作放棄された棚田を蘇らせています。新潟県上越市で山の小さな田んぼを守る鴫谷幸彦さん(48歳)は、希少種もいる圃場で生きもの調査を楽しみながら、100年先も集落のむら人が笑って暮らせる「百笑百年物語」を描いています。

 山形県庄内町の高橋直之さん・紀子さん夫婦(ともに46歳)は、水害という理不尽な自然の猛威に遭いながらも、食べる人と「遠くの親戚」のように繋がり、自らの手でむらに「祭り」を取り戻そうと奮闘しています。

 京都府南丹市では、毎月1回、農家・消費者たちが集って語り合う「マイペース百姓交流会」が開かれています。そこで語られるのは、終わりのない成長(規模拡大)を強いる農政に対し、本当の豊かさとは何か、という問いでした。また同地には、鍬一本でアゼを作るような昔の技術を次世代に繋ぐ「田んぼの1年生」という、農と市民をつなぐ取り組みもありました。

 そして熊本県菊池市には、自然の力で巨大な苗を育て、「ラク(楽)で超楽しい」米つくりで全国の若者を惹きつける「発酵農園ジャー村」の村上厚介さん(43歳)がいます。

 暮らす地域も、育てているものも、直面している困難もそれぞれ違います。しかし、一つだけはっきりと共通していることがありました。それは、彼らが皆、先人たちが遺してくれた知恵や風景への深いリスペクトを忘れず、泥まみれになりながらも「未来へタネをまこうとしている」若者たちだということです。誰一人として「かわいそうな人」などではなく、自らの頭で考え、足元の自然と向き合い、したたかに、そして高らかに「笑って」生きていました。

「徒長苗」だった自分たち、「根」を張ろうとする若者

 一方、彼らの姿をファインダー越しに見つめながら、僕はひそかに恥じ入っていました。

 1963年生まれ、つまり日本の高度経済成長とともに育った僕たちは、日本の歴史からみるときわめて特殊な世代だと思います。右肩上がりの成長期の中で深く考えることなく、漠然と未来は明るく豊かになると思って育った――言うなれば根を張らずにひょろひょろ伸びた「徒長苗」の世代です。その僕たちが壊してきた環境の中で、彼らは誰よりも深く足元の土を見つめ、泥まみれになりながら100年先の未来へしっかりと根を張ろうとしていたのです。「申し訳ない」という気持ちと恥ずかしい思いを持ちながらカメラを回し続けていました。

 彼らがそれぞれの現場でどんな壁にぶつかり、どんな知恵でそれを乗り越え、土や命と向き合ってきたのか――ここから先は、僕が代弁する野暮なことはやめましょう。次回からの連載で、彼ら自身が熱い想いと生々しい試行錯誤の様子をじっくり語ってくれると思います。

土の「深さ」と100年の時間軸

 前作『百姓の百の声』と今作『百姓、わらう。』の一番の違いは、「土」の世界を深く掘り下げたことです。作物を育てるのは半年や1年のサイクルですが、その土台となる土をつくり、維持していく時間軸ははるかに長くなります。2年、3年、5年……いま皆さんが立っているその農地は、何百年もかけて先祖たちが汗を流し、少しずつ積み上げてつくってきたものですよね。

 今回、その「土」をめぐる、植物と見えない菌たちとの驚くべきコミュニケーションの世界を描きました。広島県東広島市の森昭暢さん(42歳、2026年7月号p234など)は、大学院で土壌微生物を研究していた菌根菌の専門家でもあり、異常気象でも収穫量を落とさない実り豊かな畑を自然農に近い栽培方法でつくっています。彼の畑に3カ月ほど住み込みで撮影させてもらい、土の中で植物が菌たちとどう助け合っているのか、そのミクロの小宇宙にカメラを向け続けました。

 映画では、粘土を使ったアニメーション(クレイアニメ)も活用し、太陽・植物・根・土・菌たちの世界がどう互いに関わっているかを「超わかりやすく」伝えようとしました。有機栽培や自然農が「精神論」として語られたり「神話」として扱われたりすることに対して、僕なりに真っ向から、科学で答えようとしたのです。

土づくりの情熱の前に、有機も慣行も関係ない

 土が大事なのは、決して土を耕す耕種農家だけではありません。放牧酪農においても、何より大切なのは「土・草・牛」のバランスでした。北海道の平石拓也さん・あゆみさんご夫妻(ともに42歳)は、1億円以上の借金を背負う大規模な舎飼い酪農から、10年かけて家族でしっかり営める放牧へと切り替えました。

 そこには80歳の牛飼い名人・三友盛行さんや先輩たちのサポートと教えがありました。土をつくり、草を育て、牛を放つ。「土・草・牛」の循環を整えた結果、農場全体の労働時間はかつての20分の1に激減。売り上げは減ったものの、外へ出ていくエサ代などの経費も劇的に減ったため手元に残る収入は変わらず、何より「家族と過ごす笑顔の時間」が圧倒的に増えたのです。

 現場を歩き、土と向き合う百姓たちの姿を見つめ続けるうちに、僕の中で一つの確信が生まれました。「土を大事にする」という情熱の前には、有機栽培だ、慣行農法だといった区別は関係ない、ということです。

 じつは、僕の義理の弟は沖縄でトマト栽培を営んでいます。畑は無農薬ではありません。しかし、おいしいトマトを育てるために、彼が土づくりに注ぐ情熱と日々の試行錯誤は、誰にも負けないほど熱いものです。

 農法が違っても、足元の土に向き合う百姓の情熱と祈りは同じです。この「土」という視点を入れたことで、毎年の収穫という短いサイクルだけでなく、農の営みを100年という長い歳月の中で見つめることができるようになりました。

農家のためになってない 農政の「浅さ」

 前作『百姓の百の声』とのもう一つの大きな違いは、農政が抱える問題にもしっかりとカメラを向けたことです。いわば若き百姓たちの未来をはばむ行政、その悪魔のささやきともいえる所業です。

 農をめぐる取材を続けてきた僕が一番驚いたこと――それは、農水省の官僚や政策を立てる人たちが、驚くほど「農家の現場を知らない」という厳然たる事実でした。そして恥ずかしながら、僕たち消費者は、農林水産省が農家を守ってくれていると勝手に思い込んでいました。それまでは「農水省に聞けば日本の農業のことはわかる」と考えていたのです。しかし、現場を自分の足で歩けば歩くほど、その思い込みは音を立てて崩れ去っていきました。「もしかしてこの国の農政は、消費者に安く食料を供給するために、農家に無理を強いる(従属させる)システムになっているんじゃないか?」という、拭いきれない疑問が湧いてきたのです。

 ある大規模稲作農家が僕に言いました。「国は、『百姓を生かさず、殺さず』としか考えていないよ。その国の農政から自立することが何より大事だ」と。

 国は盛んに「効率化」や「規模拡大」を推進し、それが農業の生き残る道だと旗を振ります。しかし、わかってきたことは、面積や頭数を増やせば増やすほど、機械代や輸入飼料代などの経費が跳ね上がり、終わりのない借金のチキンレースに追い込まれていく農家たちの姿でした。国が強いる「右肩上がりの計画」に合わせようとするあまり、自分や家族にとっての「適正な規模」を見失い、苦しんでいる人がたくさんいたのです。

追ってきた畜産農家が、大きな投資の中で倒産

 一番ショックだったのは、長い時間をかけて撮影していた東北地方の畜産農家が、映画制作の半ばで倒産してしまったことでした。借金返済の見通しが立たないと判断され、財産を差し押さえられたのです。

 この家族は、アニマル・ウェルフェアに取り組み、海外のエサに依存する体制からの脱皮を目指して、堆肥を利用した草地づくりにも挑戦していました。3世代が集う家にはいつも笑い声があり、豊かな未来に向けてタネをまこうとしていました。しかし、コロナのときに大きな借金をしたのが響き、倒産――この事実をどう受け止めてよいのか、悶々と考え込みました。

 中山間地域への予算の削り方を見ても、国の農政からは「非効率な農家は早く退場してくれ」といわんばかりの冷たいメッセージを感じざるを得ません。「むらがあってこそ、米ができる」という、現場に立てば誰でもわかる当たり前の真実が、机の上で数字だけを見ている人たちには伝わっていないのです。

 農家に軸足を置かない日本の農政と、現場を知らない官僚たち。そこから生まれるシステムに翻弄される百姓たちのリアル。今作では、土のニオイがする彼らの豊かな営みと同時に、彼らを苦しめるその「構造的な問題」も、しっかりと刻み込みたいと思いました。

沖縄との共通点 問題ではなく豊かさや魅力を

 農政の矛盾と、それに翻弄される農家の姿を見るにつけ、僕はふと、自分の映像ディレクターとしての歩みの原点を思い出していました。

 大学を卒業してNHKに入社し、最初に赴任したのが沖縄放送局でした。僕のスタートポイントです。当時の日本本土のメディアは、沖縄を「悲惨な場所」「抱える問題が多い場所」とばかり報道していました。基地や戦争など「沖縄問題」と呼ばれるテーマです。とても大事なテーマですが、地元沖縄の人たちは東京目線で語られる「沖縄問題」の報道が大嫌いだということに気づきました。そして実際に自分の足で歩き、人々と触れ合ってみると、そこには貨幣価値や効率では測れない、人と人が助け合い、心から豊かにわらい合う圧倒的な魅力があったのです。僕はまず、沖縄の人たちの中にしっかり根付いている「本当の豊かさ」を発掘し、沖縄の人たちのための番組を作ろうと格闘しました。

 そして8年前、前作『百姓の百の声』のカメラを回し始めた頃から、僕は、「百姓国」(農村)と「沖縄」はとても似ていると感じてきました。どちらも、お金の物差しでは決して測れない、本質的な豊かさと知恵を持っています。しかし今回、現場を深く取材する中で、沖縄と百姓国の決定的な違いに気づきました。沖縄の人には、沖縄の人のための役所(沖縄県庁)があります。しかし、百姓国には「農家のための役所」がない。農水省は農家を守るための役所ではなく、消費者に効率よく安く食料を供給させるのを目的とした、「農家に仕えさせるための役所」だったという事実に気づいたのです。

農家と消費者・市民を直接つなぎたい

 さらに、大手メディアがいかに農業から背を向けてきたかも、はっきりと理解できました。僕自身が元NHK職員で、今も同局の特集番組を作る機会があるからこそわかりますが、日常的に農の現場を歩き、農家の立場で報道できる職員は今のテレビ局にはいません。他の大手メディアも同じような状況で、結局は取材ソースである政府の発表を垂れ流す広報機関と化してしまっているのです。「農家の声を消費者側に届けるメディアが、ほとんど存在していない!」。その事実に直面した僕は、「ならば自分の手で、農と市民を直接つなぎたい」という強い想いに駆られました。

 沖縄の豊かさについては、大手メディアの伝え方もだんだんと変化してきましたが、農をめぐる報道は今もひどいものです。テレビでは農産物が高いか安いかしか伝えない。グルメを含めた「食」の情報が巷にあふれかえっているにもかかわらず、「農」に興味を持つ消費者は少ない。伝えようと工夫するメディアがなかったからです。今の日本の消費者の中で「農業」に興味を持つ人は、おそらく人口の2%に満たないというのが、消費者側のメディアに身を置いてきた僕の実感です。

 消費者の心に直接届けたいと考えた僕は「農と市民をつなぐ会」を名乗り、市民プロデューサーを募集しました。いわば制作を共にする仲間たちです。そして多くの市民の協賛を得ながら、誰にも忖度しない自主制作の映画として、この『百姓、わらう。』を作り上げたのです。

食を通じて、すべての人につながっている

 『百姓、わらう。』では、もう一つ大事にしたことがあります。それは「食の映画」として見えるようにしたい、ということでした。

 そこには、食のプロメディアである『料理通信』の君島佐和子元編集長からの助言がありました。君島さんには制作の初期段階から監修として加わっていただき、何度も助言をいただきました。その中でとくに大切だと思ったのが、「この映画をたんに『農業の映画』として広めようとしても、観たいというお客さんは限られてくる。でもこの映画そのものは間違いなく、私たちの食と密接につながっている。すべての人の食卓に直結する『食の映画』としてラッピングしたほうがいい」と。

 その助言を素直に受けて、映画の構成では、日常の食卓と農の世界との往復を意識しました。

『タネをまく』はやめよう――悩んだタイトル

 今作のタイトルは、じつは編集の最終段階まで『未来にタネをまく』という仮題をつけていました。出演者の一人、山形県庄内町の高橋紀子さんが語っていた「未来にタネをまきたい」という言葉に心を奪われたからです。今の厳しい現実の中でも、100年先を見据えて自ら動く若者たちの姿にぴったりだとも思っていました。

 ところが、広告代理店に勤める友人から「『未来にタネをまく』という言葉は、企業が成長目標を掲げる時のスローガンとしても使われている」と聞きました。「わが社が右肩上がりの成長を続けるためにも、諸君はいまどのように未来にタネをまくかが問われている」と、大企業内では若い社員に向かって、役員・管理職たちがまことしやかに言うそうです。僕が伝えたいのは、そんな成長ストーリーの文脈じゃない。このタイトルはやめようと思いました。

 もっと人間の根っこにあるものを表わす言葉はないか。君島さんのアドバイスを思い出し、「君のごはんの向こう側」というタイトルにしようとも考えましたが、それではあまりに「農」から離れすぎてしまう……。

百姓は「生きざま」 だから彼らは「わらう」

 迷いに迷っていたとき、天から降ってきたように思いついたのが「わらう」という言葉でした。ファインダー越しに見つめてきた百姓たちは、とにかくよくわらっていました。「輝く」というのとも違う。農業の現場なんて、決して楽しいことばかりじゃありません。理不尽な天候に泣かされ、冷酷で軽薄な農政の矛盾に翻弄される。

 それでも彼らは、わらっている。

「わらうってさ、苦しくてもわらえるじゃん。楽しくてもわらうし、悲しくても、怒っていてもわらう。わらいは喜怒哀楽と共にある。人間のすごく本質的なものだ」

 すべての喜怒哀楽をのみ込んだうえで、自分の足で土の上に立ち、マニュアルでは到底太刀打ちできない自然を相手に、自分の頭で考えて生き抜いている。だからこそ、彼らはどんなに厳しい状況でも、わらうことができる。「わらう」とは、自立して生きる最強の「生きざま」の証明なのだと思いました。「百姓は職業じゃなくて、生きざまなんだ。これは、生きざまの映画なんだよな」と。

 国の農政が強いる「規模拡大チキンレース」は、隣の農家を出し抜く「競争」の世界です。それに対する最大のカウンターは、前作『百姓の百の声』で描いたような百姓国がもともと持っていた知恵、「惜しみなく技術やタネを共有しあうこと」です。今作で登場する若い百姓たちも、惜しみなく技術を教え、百姓を増やそうとしています。彼らがなぜ、この「不機嫌な時代」ともいえる現在の日本社会の中でわらっていられるのか――それは一人で孤独に闘っているのではなく、互いに知恵を共有して支え合っているからなのでしょう。

 そしてこの百姓たちの生きざまに学ぶことこそが、すべての日本人、消費者を含めた僕たちの社会を、真に豊かにするものだと考え、『百姓、わらう。』を世に送り出します。

前作『百姓の百の声』自主上映会、大歓迎募集中

知恵もタネも共有する、豊かな「百姓国」の姿を伝えます。第38回「農業ジャーナリスト賞」受賞。
知恵もタネも共有する、豊かな「百姓国」の姿を伝えます。第38回「農業ジャーナリスト賞」受賞。

自主上映開催の手順等については、こちらを参照ください。

『現代農業』2022年9月号からの連載「映画『百姓の百の声』制作秘話」も必読です。