くらし記事一覧 読みもの 【野良でうたを詠む心ー詩・短歌・俳句】(1)独自の視点をつむぎだす 2025-01-09 この連載では、『現代農業』の「野良で生れたうた」(詩・短歌・俳句の投稿コーナー)の選者に、うたの詠み方や楽しみ方を書いていただいています。詩の佐々木洋一先生の記事を紹介します(『現代農業』2025年1月号より)。 佐々木洋一 「野良で生れたうた」の詩のページ。ほかに短歌と俳句のコーナーがある 1年かけて農家の言葉に耳を傾けた 私が詩作を意識したのは17歳の時。それから55年間、多い少ないはあっても詩作を継続してきた。その間には、働き、結婚をし、子供を育て、飲み屋に通い続けたり、挫折したり、さまざまな経験を経てきた。しかし、その間詩作を休むことはしなかった。書くか書かないか、それしか詩作への評価はないという信念みたいなものがあったからである。そしてその中で出合ったこと、人、詩作品によって支え続けられてきたように思う。 そんな中で影響を受けた出来事と、詩に触れる場合に注意したいと思っている点を紹介したい。 不思議で妖しげな光景に衝撃 二十代前半に仙台に下宿していた時のこと。隣の部屋に同郷の先輩がいて、ときどき私の部屋に来ては尺八の演奏を聞かせてくれたり、さまざまな尺八の曲をかけてくれたりした。ある夏の夜、先輩は突然部屋にろうそくと線香を持って現われ、ろうそくと線香を立て、火をつけ、おもむろに尺八の曲をかけた。すると、曲が始まると線香の煙がろうそくの火の周りを絡みつくように渦巻いていくではないか。何とも不思議な光景が生じた。かけた曲は、雄ジカ達が雌ジカを求めて鳴き合う「鹿の遠音」という琴古流の曲であった。先輩は、一人の女性を求めて男達が競い合う愛欲の世界を演出したかったらしい。それはとみに的を射て、その一夜の魅惑的な世界は、それからの私の心に深く根を張ることとなった。 また夜半、仙台市内の周辺巡りに連れて行かれた。繁華街ではなく、広瀬川や青葉山などの暗闇を巡った。闇の中から眺める街の灯りは街から遊離して、どこか寂しげに取り囲むように佇んでいた。街の明るさとは別な妖しげな輝きがあった。先輩は、闇と光の微妙なコントラストを伝えようとしたのでないか、と思えた。これらの出来事は、それから私が詩作をするうえで大きな衝撃となって存在することとなった。 その花は本当に美しいのか 私が詩に触れる際にもっとも注意する点は、独自かどうかということにある。つまり自分の見方、自分の捉え方をしているかどうかということ。しかし、これは大変難しい。なぜなら、私達はつねづね情報や教育などにより、皆がよいと思えばよいと思ってしまう傾向にある。だから私は、例えば美しいと思っている花は本当に美しいのか、本当のところどうなのか、という疑問から詩作に入る。それが、作品の独自性を生み出す原点のように思う。簡単にいうと、どこかで見たような、誰かが言っているような作品にならないように注意することである。 私の作品「はくちょう」を例に見ると、ハクチョウ=白く美しいという常識や思い込みを取り払った作品である。ハクチョウが獰猛なことを知っている人はいると思うが、ここでは美しいというイメージからはかけ離れている。常識を覆した視点、すなわち独自の角度からハクチョウを捉えているというふうに、思えるだろうか。 (宮城県栗原市) 【連載】野良でうたを詠む心第1回 独自の視点をつむぎだす みなさまの作品(詩・短歌・俳句)をお送りください御投稿は編集部までハガキ(詩は封書)または以下フォームからお送りください。お待ちしています。〒335‐0022 埼玉県戸田市上戸田2‐2‐2 詩・短歌・俳句の応募(フォーム)はこちら 毎月読者から届く詩や短歌、俳句 ↓「野良で生れたうた」詩・短歌・俳句のコーナーはこちら↓ 『現代農業』の「野良で生れたうた」コーナーに選句された短歌・俳句は、『農家日記』の記帳ページ(書き込みできる欄)にも一部掲載されています。ぜひご利用ください。 『農家日記』2025年版の表紙 農家日記 ★定期購読申込み★農文協編農作業の記録や青色・白色申告はもちろん、暮らしの記録や家計簿など、使い道は無限大。年末年始のプレゼントにもおすすめです。 購入はこちら Tags: 野良で生れたうた, 短歌, 俳句, 詩