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雪国の中山間地で小麦づくりに燃える(最終回) 10年間の小麦づくりの奇跡のような話

雪国の中山間地で小麦づくりに燃える(最終回)
10年間の小麦づくりの奇跡のような話

新潟・鈴木貴良きよし

毎年、冬の大雪に耐え、春を迎える小麦。10年の経験をもとに安定生産を実現し、県平均1.75倍の反収350kgも記録

地元の小麦と地元の花でビールができた

 2021年の当地の最高積雪は3m50cm。過去10年間で2番目に多い、久しぶりの大雪となりました。小麦の圃場は少し標高の低い所にありますが、それでも3mは積もっていたと思います。

 ただ、3月に入ると降雪は2、3日だけ。平年より暖かく、消雪日が4月10日と予想よりも早まり、驚くほどのスピードで雪が解けていきました。数年前ならもうダメかもと、小麦の姿を見る前に諦めてしまうほどの雪の量でしたが、経験を重ねて「やるだけのことはやった」といえる、少し自信めいたものが芽生えたおかげか、まったく心配は感じませんでした。

 技術的な話はこれまでの連載ですべてご紹介しました。最後にせっかくの機会なので、小麦づくりに励んだこの10年間の奇跡のような話を書き残しておきたいと思います。

 そもそも私が小麦をつくり始めたきっかけは「髙柳産の小麦が欲しい」という地元のパン屋さんからのオファーがあったからでした(2020年11月号)

 雪国の中山間地での小麦づくりに可能性を感じた私は、その後、隣町の十日町市にあるクラフトビールのブルワリーさんと出会い、共同で小麦を使ったビールの開発にも取り組み始めました。

 ビールにはホワイトビールという小麦で造る種類がありますが、私が育てているタンパクの高いゆきちからという品種は、あまりその原料に向かないと本などには書かれています。しかし、独自の研究機関を持つ製麦業者に相談してみると、必ずしもそうではないとわかってきました。実際に、ゆきちからでビールを造ってみると、むしろ独特のコクのあるビールができたのです。これに地域ゆかりの「あんにんご(ウワミズザクラ)」の花で甘い香りを付け、「柏崎ウィートあんにんごの花」という今までにないようなビールが完成。淡い色と香りが特徴のフェミニンなビールで、地域のイベントなどを中心に販売し、女性にも大人気となっています。

小麦を使って造る「柏崎ウィートあんにんごの花」。毎年300kgの小麦がビールの原料に使われる

小ロットでも地域にはいろんな需要がある

 小麦をつくったら、それを売らなくては農業ではありません。しかし、私が小麦づくりを始めた頃は、農協では取り扱いがなく、検査員もいなかったので、検査場や売り先を自分で見つけなくてはなりませんでした。かといって原料出荷では非常に安く買い叩かれます。

 そんな私に小麦の可能性を強く感じさせてくれたのが先輩農家の山口早苗さんです。山口さんは加工や店舗経営にも詳しく、育てた小麦を使い、自らパン屋、ピザ屋、ラーメン屋と次々にオープンさせていきました。

 私は山口さんと違って、加工の技術やノウハウはまったくありませんでした。しかし、見渡すと近隣の地域にはパン屋やブルワリー以外にも、乾麺や生麺の名店があったり、地域食材を扱う飲食店がけっこうあることに気がつきました。どの業者も小麦への情熱を持って交渉すると、たとえ小ロットでも快く加工を引き受けてくれました。

 生産者が加工業者と直接やりとりすると、原材料の魅力をさらに引き出せたり、いろいろな商品とのタイアップを考えついたり、互いに気づかされることがたくさんありました。また、こうした物づくりの世界は、他業種同士が知り合いということも多く、一つの出会いから次の出会いがどんどん生まれていきました。

 今では、人気ラーメン店に中華麺を供給している十日町の製麺屋に、ゆきちからの全粒粉を使った中華麺を作ってもらっています。小麦以外にも、私が育てた青豆を使って小千谷市の製菓屋さんに豆菓子、長岡市の豆腐屋さんに豆腐と豆乳を作ってもらい、ソバは小千谷市の製粉屋に石臼びきしてもらってから、十日町市の乾麺屋に乾麺加工してもらっています。

 こうした地域に生まれる縁の連鎖に、私の中にあった小麦の可能性が確信へと変わり始め、地域経済の疲弊や過疎化にあえいでいながらも、米づくり以外に興味の乏しかった地域に、少しだけ光が見出せたと感じています。

ソバの生育具合を見る筆者。これからは中山間地の未来を一緒になって考えられる人づくりに力を入れたい(依田賢吾撮影)

コシヒカリ以上の売り上げに

 中山間地の農業は、「米さえつくっていればなんとかなる」と米づくりに依存したままだと、未来が望めないと思っています。

 インターネットの時代になって流通が変わりました。また、食文化も変わり、朝はパン、昼はラーメン、夜はパスタという食生活が珍しくありません。米消費の減少は人口が減ったからではなく、米以外のものを食べるようになったからなのです。市場では米が「高い」ものの位置付けになっています。米の関税率は200%以上、小麦は十数%。この数字からも扱われ方の違いがよくわかります。米余りで米価下落も予想されていますが、米はもっと安くならないと勝負にならない時代になってしまいました。

 その一方で、90%以上を輸入している小麦は、国産人気が高い。また、小麦をつくると10aにつき、経営安定対策として3万5000円、数量払いで約4万2000円(350kg×約120円)。さらに販売額7万円(350kg×200円)と、反収350kgとれれば約14万7000円の売り上げになります。これはコシヒカリ10俵の売り上げと同じです。水利費が必要ないので、経費も半分ですみます。頑張って収量を上げれば収益も上がるという、米づくりでは忘れかけていたやりがいを小麦づくりでは感じられます。

 日本の農業は「弱い」部分も多いかもしれませんが、日本のマーケットは世界トップクラスです。米づくりに収益性が見込める土地ならば一生懸命米で収益を上げればいい。ただ、米づくりに向かない土地はいち早く他の作物に転換して収益確保につなげるべきだと思います。

 そうです、それはいわれなくても皆わかっていることで、実現するには奇跡でもないと……と感じることでしょう。でも私は、小麦づくりに燃えたこの10年で「奇跡が起きないと無理ならば、奇跡を起こせばいい」と考えるようになりました。そのためには秀逸な農産物づくり、それを使った物づくりとそのマーケットづくり。そして、一人ではやりきれないので、ともに取り組む「情熱を持った人づくり」が何よりも必要なのです。

(新潟県柏崎市)


小麦1トンどり

小麦1トンどり

高橋義雄 編著

1961(昭和36)年、世界の小麦収量は次のようであった(FAOSTAT統計)。
日本274kg/10a、フランス239kg、ドイツ286kg、イギリス353kg・・・。
それからほぼ半世紀後の2014(平成27)年、世界の収量は目覚ましい伸びを示した。
フランス735kg、ドイツ862kg、イギリス857kg。それに対して日本は、400kgにとどまっていた。
この半世紀、われわれは何をやってきたのだ? と、日本の研究者の魂に火がついた。かくして、日本でも1トンどりを目指す取り組みが始まった。本書は、研究者・農家の手で作り上げた取り組みの成果をまとめたものだ。