◆マークは、ことば解説があります。
農薬代・肥料代が3万円安い
「元肥に◆一発肥料入れて、穂肥振って実肥も振って。夏には『ウンカが出た』って薬をまいて、秋には毎年できすぎて倒伏する。うまくいけば反収10俵とれるっていうけど、そんな栽培はあかんでしょ」
しかし30年ほど前の就農当初は、自身もそんな栽培をしていたのだそうだ。「自分婿入りやし、当時は義父が中心だったってのもあって、強いこと言えへんでしょ。毎年毎年イネが倒れて、引き起こしながら刈るのがメチャクチャ大変やったわ」と笑う。
兵庫県たつの市でイネ1.6haを育てる兼業農家、丸尾正志さん(55歳)が現在取り組んでいるのが「への字稲作」だ。元肥ゼロ、もしくはほとんど入れずにスタートし、生育中期の肥効で強い分けつをとる栽培体系。たつの市のお隣、太子町の稲作農家・井原豊さんが1980年代に提唱した栽培方法である(詳しくは本誌p91)。
中でも丸尾さんが大事にしているのが、への字の考え方の基本である「ムダなものは極力入れない」という部分。これを徹底して追求してきたおかげで、現在は無農薬でも栽培できるようになった。10a当たりの肥料代と農薬代の合計はときに周囲より3万円も安く、それでいて同等以上の収量がとれているという。
▼ヒノヒカリ10a分の栽培にかかる肥料・農薬代のイメージ
[ことば解説]
◆元肥一発肥料(もとごえいっぱつひりょう)
速効性の化成肥料の他、溶出期間の違う数種類の被覆肥料を混合し、生育期間中にちょうどいい肥効が出るよう調整された肥料。追肥が省略できる肥料として、各地で一般的になってきている。
しかし、被覆肥料が溶け出す速度は水温が高いほど早いため、天候によって肥効が左右される。夏の高温で肥料が早く効いて後期に肥切れしたり、下位節間伸長期に効いてイネが倒伏したり、といった問題も起こりやすい。
疎植の大苗だから、ジャンボタニシ除草
丸尾さんがへの字に取り組むようになったのは、2011年のこと。婿入り先の両親が高齢になったこと、そして自らの環境問題への関心が高まったこともあって、への字・減農薬型に大転換した。じつは、実家のお父さんが井原さんの大ファンで、丸尾さんの結婚祝いにも著書数冊を送ってくれたほど。それらを参考にしつつ、疎植・細植え・元肥なしに挑戦してみたのだ。
田植え後1カ月の間、丸尾さんの田んぼは周囲と比べて明らかにさみしく、周囲の農家からは「苗が足りんかったんか」「肥料もやらんでそんな植え方じゃ、米とれへんやろ」と言われたという。ところが、への字稲作の特徴である◆出穂約45日前の追肥(茎肥)後は、周囲のイネに追い付け追い越せの勢いで一気に生長。前年休耕(緑肥のソルゴー)していたこともあってか、その年は反収10俵(地域平均は8俵程度)。その後も毎年8〜9俵安定してとれており、課題だった倒伏もなくなった。
なるべく有機・無農薬栽培に近づけたいと考え、丸尾さんは毎年少しずつ栽培を変えてきた。昨年のヒノヒカリの場合だと、前年秋に米ヌカ、乳酸菌のラクトバチルスなどを投入し、ワラの分解を促して地力を増強。6月上旬、催芽モミ80g播きの約35日苗(露地プール育苗で平置き出芽、草丈20cmの4葉期苗)を植えた。周囲の営農組合だと、150g播き以上の20〜30日苗を同時期に植える。その分、播種時期は丸尾さんのほうが早い。
薄播きで大苗をつくるのは、もちろん元肥ゼロ・疎植にするためであるが、ジャンボタニシの食害を避けるためでもある。丸尾さんはタニシの駆除剤を使わず、しかも田植え後はずっと10cm程度の水深を保つ。生えてきたばかりの雑草をタニシに食べさせる、つまりジャンボタニシ除草に利用しているのだ。こうすることで、初期も中期も除草剤を使わず、手取り除草すらほとんどせずにすむという。「イネも少し食われるけど、大苗やし大きな欠株は出えへん」。
[ことば解説]
◆出穂(しゅっすい)
穂が出ること。イネでは半数の茎が出穂した時期を「出穂期」と呼ぶ。すべての穂が出る時期(通常、出穂期の2〜4日後)は「穂揃い期」と呼ばれる。
イネは出穂とほぼ同時に開花するが、その時点で自家受粉を終えている。
出穂期はおおよそ品種によって決まるが、植えた時期や天候によっても左右される。追肥などのタイミングは、出穂期を基準として「出穂○日前」という形で表わされる。
田んぼの生きものたちがウンカを撃退
雑草対策だけではない。への字・減農薬に変えたことで、かえって病害虫の被害も減った。以前は頻発していた◆いもち病やウンカ、斑点米カメムシの被害が明らかに減少。色選なしで、毎年ほぼ1等米がとれている。
その理由の一つが、イネ自身の強さだ。以前は周囲と同じ坪50株植えだったが、地力を生かし強い株に育てるために坪37〜42株の疎植に変更。また、初期に分けつをとりすぎないので、モサモサと過繁茂になることもなくなった。田んぼの風通しがよくなり、硬くて健全なイネに育つようになったのだ。
もう一つの理由として考えられるのが、生きものの多様性だ。農薬を使わず土壌の微生物を生かし、米ヌカや発酵鶏糞などの有機資材を積極的に使うことで、田面をトロトロにする。そして、丸尾さんは決して「中干しをしない」。7月上旬、水が切られる時期が近付くと、田んぼにタプタプに水を溜め、中干し期間中も田面を出さないようにする。イネの根を切らないため、そして田んぼの生物多様性を守るためだ。除草剤、農薬、中干しがない田んぼには、クモやカエル、タイコウチ、ミズカマキリなど生きものがうようよ。初夏になると、コシアカツバメが丸尾さんの田んぼの上にだけ飛ぶという。
2019〜20年は、2年連続で全国的にトビイロウンカが大発生。周囲では秋の坪枯れが激発し、20年には反収が5俵程度まで落ちたが、丸尾さんの田んぼは無防除でも被害なし。田植えが遅れるハプニングがあったが、クズ米が少なく全量1等、7俵程度収穫できた。
ただし、いいことずくめではない。栽培期間を通して水を溜めっぱなしにするためか、周囲のバリバリに干したイネより下葉枯れが目立つのだそうだ。ガス抜き程度に田面を見せたほうがいいのか? でも、水を落とすとヒエが伸びるし……と、ここは悩みどころだという。
[ことば解説]
◆いもち病(いもちびょう)
イネの主要病害で、病原菌は糸状菌。根以外のほぼすべての部位で発病し、時期の違いにより「苗いもち」「葉いもち」「穂いもち」と呼ばれる。
葉いもちは葉に斑点や白斑をもたらし、穂いもちでは穂首が灰褐色になったり、穂が白穂化したりする。収量や品質の低下に大きく影響する。
とくに、夏期の低温・日照不足条件や、出穂期の降雨などで発生が助長される。
食味もグンとよくなった
への字稲作に変えたら、後効きするチッソがなく、登熟もよくなるため、食味もよくなった。以前、キヌヒカリの食味値は65点程度だったが、ここ数年は80点も超している。試しに味にこだわりのあるカフェの店員に食べてもらったところ、「これはおいしい! あの地域は海に近い川の下流の産地だし、こんなにおいしいお米はとれないと思ってた」と、驚かれたそうだ。登熟のよさはクズ米の少なさにも表われており、例年1.85mmでふるっても、10a当たり30kg以上は出ないという。
この「少投入でムダなくとる」やり方を、お義父さんの登さんはどう見ているのだろうか。作業の合間に、ちょっと聞いてみた。「昔は6月に元肥入れて、7月頃にもう1回肥やしを入れて、穂肥も実肥も入れた。隣の人との競争じゃ。隣のイネがええときは、こっちもパーって肥やし振るねん。金かかるのは仕方ない。肥やし入れな、米とれるかいな」。あくまで目指したいのは、ドカンと多収することだという。丸尾さんのへの字稲作には、少し歯がゆさも覚えているようだ。しかし、「まぁ、今の人の考えは違うのかもしれんから……任せとるけど」と、丸尾さんの意思を尊重している。
「親父は10俵とったときの快感が忘れられないんやと思う。『苗もっとつくらんか』『肥やし入れんか』って口出してきますわ。でも、10俵は結果であってねらうもんじゃない。米も安いし、農薬・肥料のフルコースでコストやリスクをかけるより、金かけず8俵確保、天候がよければ9俵ってほうが、いいと思いません?」
丸尾さんは、自らの栽培への手応えをそう語る。昨年はオリンピック後の長雨が影響し、地域ではクズ米が続出。1.85mmでふるうと米が残らないほどの状況で、反収はどこも7俵程度だった。一方、丸尾さんのクズ米は10a30kg程度で、例年通り8俵(480kg)とれた。
周囲にへの字仲間が増えてきた
なかなか理解を得るのが大変なへの字稲作だが、最近は周囲に実践仲間が出てきたという。一人が内海正人さん。丸尾さんと同級生で、田んぼ55aの兼業農家だ。以前、ヒノヒカリは坪55株植えにし、元肥はLPコートでチッソ7〜8kg、穂肥なども振っていたが、「毎年倒伏するわウンカ出るわで、ホンマにこれでええんかな?って悩んどったんです」。それで6年ほど前、丸尾さんの勧めもありへの字に転換した。
坪40株、元肥はほぼゼロでスタートし、出穂45〜40日前に硫安を約20kg追肥する。収穫後にはワラ分解・地力増強のために、硫安とラクトバチルスを散布。やはり農薬はほぼ使っておらず、近年は除草剤もあまり使わないという。収量はヒノヒカリで7〜8俵、安定してとれている。「収量的には少し減ったかもしれんけど、苗箱は反当20枚から13枚に減ったし、農薬代もぐんと減った。ウンカだって、隣のイネがやられていても、うちの田んぼにはあまり入ってこーへんなぁ。収穫のときも倒れないから、コンバインで刈りやすいんですわ」。
もう一人のへの字仲間が、岩田静男さん、とし子さん夫婦。丸尾さんにアドバイスを受けつつ、3〜4年前にヒノヒカリ15aをへの字稲作に変えた。「栽培を変えたら、肥料代や薬代がかなり安くなりました。10aに使う苗も22枚から15枚まで減って、それで8俵とれています。以前より収量的には少し減ったかもしれんけど、とても満足しています」。
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資材費高騰・米価下落と、稲作を取り巻く状況が厳しい今、井原さんのお膝元でへの字稲作に再び火が付きかけている。次回はそのイネ姿を紹介する。(編)
への字稲作とは――なぜコストが減らせるか
への字稲作とは、兵庫県太子町の篤農家・井原豊さんが提唱した稲作方法。生育パターンが「へ」の形をたどるのが特徴で、田植え後はさみしく、生育中期に旺盛になり、以後おだやかに色がさめる。当時、全盛だった「V字型稲作」(早期茎数確保と、穂肥によるモミ数確保)は無効分けつなどが出やすく、それへのアンチテーゼとして提唱された。疎植・細植え、元肥ゼロ、出穂45日前の硫安でのドカン肥などが特徴といわれるが、とくに方法を限る必要はなく、あくまでへの字型の生育であればよい。
イネの(生育の)特徴
●初期は分けつの少ない寂しい姿(井原さん曰く、ノーパンスケスケのイネ)
●茎が太く、生育中期には見事な開張姿(曰く、ゴリラのガッツポーズ)
●大きな穂がつき、それぞれの粒も大きい
への字でのコスト減らしポイント
●初期にさみしい→苗が節約でき、元肥も少なくて(ゼロで)いい
●過繁茂しにくい、強壮な分けつがとれる→病害虫が出にくく、防除が減らせる
●中期に必要な数だけ分けつを確保→施肥効率が高く、肥料が少なくてすむ
●健全で強壮な株となり倒伏しにくい→機械への負担、作業時間が減る
井原豊 著
省力・減農薬・低コスト、しかもコシヒカリなど良食味米を倒さずつくれると大評判の井原流「への字イナ作」。従来のイネつくりとどこがちがうのか。豊富な写真で、生育の特徴とつくり方のポイントをわかりやすく解説。
井原豊 著
省農薬、省肥料で安定多収、金が残るイナ作のやり方を全公開。「10年おくれているイナ作指導」にまどわされず、コストをぎりぎりに下げた、痛快かつ豪快なイネをつくろう。