この連載では、『現代農業』の「野良で生れたうた」(詩・短歌・俳句の投稿コーナー)の選者に、うたの詠み方や楽しみ方を書いていただいています。
今回は短歌の千村先生(2025年4月号まで選評)より。
千村ユミ子(新潟県長岡市)
『現代農業』2025年2月号
1937年(昭和12年)生まれ。2歳違いで妹が生まれ、続いて次の妹が年子で生まれ、母がとても忙しかったので、独り遊びをしていることが多かった。絵本を与えられたら興味を示し、座り込んでじーっと見ているので、この子は本が好きだ、と『講談社の絵本』を次々買ってもらい、ひと様もお菓子より絵本をくださるようになった。
初めは読んでもらったのが、すぐ自分で読めるようになった。そのままずーっと本が好き。新潟県の北魚沼の堀之内小学校では授業中に隠れて読んだり、学校帰りに歩きながら読んだりしたので、あだ名は「本バカ」。本でさえあればいいので、手当たり次第で散文、詩歌、何でも読んだ。友だちが「うちにあんたの好きそうなブタキのほんがあった」と言って、啄木の歌集を貸してくれたりした。
ホオズキが歌になった
中学1年、13歳の時、『少女の友』という雑誌に、五島美代子先生の選で短歌が出ていたのでハガキで投稿してみたら、採用されて次の号に載っていた。生まれて初めて自分の書いたものが活字になり、しかも美しい便箋封筒のセットという賞品まで送られてきて、どんなにうれしかったか。その時の歌は、
山の畑で一人草取りをしたとき、センナリホオズキという食用のホオズキを採って食べ、ポケットに採りためて帰った、そのことが歌になった。初めて歌をつくった。
母親は「女の子は目立つことをするな、人と違うことをするな」と言うので、投稿は1度でやめたけれども、歌を書いてみるのはやめなかった。
グレもせず生き延びて
中学3年で岐阜県の伯父夫妻のところへ養女に行った。その後高校を卒業して、編み物を習って家で編み物教室をするなどしていた時、朝日新聞名古屋本社版に短歌を投稿してみたのが載った。
という歌で、選者は宮柊二先生。その頃、婚約破棄という迷惑を起こしてしまい、どうしようもなくなって、だまったまま一時郷里の魚沼へ帰ってしまったのだった。
宮先生は堀之内町ご出身。岐阜に行くまで通っていた堀之内中学の校歌を作詞していただいて、校歌発表会で宮先生がおいでになるというまさにその日に、私は養女になるため伯父の迎えで岐阜へ去る汽車に乗っていた。涙が止まらない私の横で、伯父は窓の外ばかり見ていた。うちにいれば中学卒業したら就職する。でも岐阜へ行けば上の学校へ出してもらえる、ということだった。
投稿する歌に八海山など郷里の固有名詞を入れたのは、宮先生に「同郷です」というアピールでもあった。22歳で宮先生主宰のコスモス短歌会に入会した。
その夏、堀之内時代の同級生と会津磐梯山へ登ったが、その時、メンバーにいたのが後の夫になるというご縁があり、23歳で結婚して越後へ帰る。養父母は、こっちの姓を名乗ってくれれば新潟へやってもいい、と言った。彼は両親を亡くして一人暮らしだった。異父の姉たちが、姓を変えるなどとんでもないと反対だったが、なんとかくぐり抜けて、姓を持ち込んで新潟暮らしに。
どんな時も、歌はつくってきた。歌があったから、グレもせず死にもせず、87のおばあさんになるまで生き延びた。皆さんにお話しすることがあるとすれば、「歌は生の証明」(宮先生のお言葉)。一心に真実を書きとどめるしかないと私は思っています、ということでしょうか。
【連載】野良でうたを詠む心
- 第1回 独自の視点をつむぎだす(佐々木洋一)
- 第2回 歌は生の証明(千村ユミ子)
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